男子100キロ級の2016年リオデジャネイロ五輪(オリンピック)銅メダリスト羽賀龍之介(32=旭化成)が、直近4大会で3度目の決勝進出を果たした。惜しくも準優勝だったものの、健在ぶりを強烈に印象づけた。

20年の優勝、21年の準優勝に続き、再び日本一決定戦へ。準々決勝で136キロの小川雄勢(26=パーク24)と、準決勝で21年覇者の120キロ太田彪雅(25=旭化成)と延長戦まで戦った上に、トーナメント表では「右の山」。決勝までのインターバルが短い中、王子谷剛志(30=旭化成)戦を迎えた。

神奈川・東海大相模高から東海大、旭化成と同じ道を歩んできた後輩と、最後は145キロを相手に死闘を繰り広げた。

指導2まで同時に受ける一進一退の攻防。延長戦に入ってから、徐々に相手の圧が苦痛になり始めた。「強烈だった」。王子谷に逆の一本背負いが出るようになると「片手の技が、あそこまで破壊力あるとは思わなかった。あんなに浮いてしまうんだ」と驚きの劣勢に。代名詞の内股をすかされる場面もあり、最後は押し込まれて最後の指導を取られた。

試合後の午後8時ごろ、こうツイートした。体重無制限の過酷さ、後輩への祝福、国内で最も権威ある大会への敬意を込めた。

「応援ありがとうございました。王子谷強かった。彼の気迫と意地を試合中に感じました。悔しさもあり、どこが痛いのか分からないくらい疲れてますが疲労を抜いて前を向きます。声援が沢山聞こえて嬉(うれ)しかったです。本当にありがとうございました、」

一夜明けた午前6時30分にも、つぶやいた。

「ほとんど寝付けず、過去一のダメージが。まだ筋肉痛とかでもないです。準々決勝、準決勝、決勝。無差別の戦いは本当に過酷だ」(ともに原文まま)。

毎年のことだが、前日28日に誕生日を迎えて挑む。決勝こそ敗れたが、試合巧者ぶりは衰えるどころか磨き込まれていた。

初戦の2回戦を大内刈りで技あり、3回戦を宝刀の内股で一本勝ちすると、準々決勝で小川と対戦。「組んだことがない」という難敵だったが「肘の内側」を思うままに制御し、指導3つを奪った。自身は1つも取られない完勝だった。

準決勝は、過去2度の決勝で対戦している太田。「強いすよ」と率直に評価する後輩と、再び延長戦にもつれる長期戦となった。足技で倒されてヒヤリとする場面もありながら、相手の背負いや内股に耐え、左足をはね上げて対抗。最後は太田の立ち関節が反則となって勝ち名乗りを受けた。

大会の格を保つべく、内容にも結果にもこだわっていた。世界選手権(5月、ドーハ)代表の斉藤立(21=国士舘大)と影浦心(27=日本中央競馬会)が不在だったことで、より責任感は増した。

あと1歩だったものの、令和に入って3度目のファイナル進出という実績は色あせない。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、無観客の講道館で行われた20年大会で初優勝し、最高峰の魅力の取りつかれた。

この日は、有観客の武道館だった。声援を味方に、また山の一番上のステージへ上り詰めた。

同期の五輪73キロ級2連覇王者、大野将平(32=旭化成)が24年パリ五輪を目指さないことを表明し、同階級の橋本壮市(31=パーク24)も、パリを「集大成」と公言して目指している。

羽賀は-。

「リオの後、東京五輪の代表になれなくて、コロナがあって。その中で初優勝した全日本に、価値を感じたんです。これを何年、続けられるか。今からパリの100(キロ級代表)も厳しいし、全日本に気持ちが向いている感はあります。あと5年も10年もできないけれど(トップの実力維持を条件とする)優勝候補じゃなくなるまでは。優勝候補じゃないと感じた時には引退だと思うので、その時まで、まだまだ頑張ります」

【木下淳】