卓球女子で3つの五輪団体メダルを獲得し、1日に現役引退を表明した石川佳純さん(30)が18日、都内で会見を行った。

石川佳純さんは家族にとってどんな存在だったのか-。ラケットを握った時からそばで見守り続けてきた祖母の喬子さん(86)が、思い出とともに愛孫への思いを語った。【取材、構成=勝部晃多】

喬子さんが暮らす島根県松江市の自宅には、佳純さんのポスターやカレンダーが壁一面に飾られている。「この顔がいいわ~、ってものを選ぶんですよ」。愛孫の笑顔が何よりの活力。「本当に佳純ちゃんには元気をもらいました。ご苦労さんでした」と、23年に及ぶ現役生活をねぎらった。

卓球を始めた小1の頃から、夫の四郎さん(故人)とともに全国を駆け回って応援してきた。小5の時に帯広で行われた全国大会から、12年のロンドン五輪まで-。これまで現地に足を運んだ回数は「50回は確実に超えてますね」という。「元気をもらうために行くようなもんだった。元気な姿を見るのが、もう楽しみで楽しみで」とうれしそうに振り返る。

中でも、09年に横浜で行われた世界選手権は一番の思い出。初出場の佳純さんは高校生ながら帖雅娜(香港)ら格上選手を次々と破った。だが、会場で声援を送っていた喬子さんは4回戦直前に体調を崩し、緊急搬送。最後まで見届けることが出来なかった。それでも、福原愛さん以来のベスト8進出の報を病院で聞くと「元気になって。よかったよかったって」。孫の活躍が、文字通り「生きがい」だった。

普段は「田舎にいる普通の優しい女の子」。年に数回、「ばあちゃん、元気?」と多忙な競技生活の合間を縫って顔を見せに来てくれた。そして、現地に行けなかったリオ、東京五輪の後にはメダルを見せに来てくれた。優しく首にかけてくれた感触は「よく覚えてますよ」と頬を緩める。

もう、真剣勝負は見られない。それでも「ちょうどいい時期だったと思います」と言った。「いつも言うんですよ。頑張らなくていい。ケガしたり風邪ひいたりせんで行って来てちょうだいねって。たくさん大変なことをしてきたから、まずはゆっくり休んでほしい」。“ばあちゃん”は愛孫が大好きなサザエご飯を作って、島根で待っている。