<ベルリンマラソン>◇9月30日◇シャルロッテンブルク門発、カイザービルヘルム記念教会前着の42・195キロ◇出場
2万5686人◇曇り時々雨、気温16度、湿度87%
【ベルリン=佐々木一郎】ベルリンで壁が崩壊した。高橋尚子(29=積水化学)が、2時間19分46秒の女子マラソン世界最高記録を樹立した。序盤から独走、テグラ・ロルーペ(28=ケニア)が持っていた記録を57秒も短縮し、予告通り、初めて2時間20分の壁を突破した。世界最強と絶賛されたシドニー五輪金メダルに続いて、日本女子選手として初めて世界最速ランナーの称号もあっさりと獲得した高橋は、さらに2分縮めるという仰天プランを披露した。
ベルリンマラソン女子上位成績
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(1)高橋尚子(積水化学)2時間19分46秒
(2)ロルーペ
(ケニア)
〃
28分03秒
(3)ウェゼル
(ドイツ)
〃
28分27秒
(4)寺崎史記(デオデオ)
〃
33分23秒
(5)杉原愛
(大塚製薬)
〃
34分56秒
時間だって、敵じゃなかった。40キロすぎ、高橋は左手首の時計にチラッと目をやった。「(2時間)20分は切れる」。フォームは明らかに乱れた。口は開き、目をしばつかせる。肩を揺らし、体を前へ前へと必死に運んだ。たたき出したタイムは、女性の進化を証明する2時間19分46秒。12年前に壁が崩壊したベルリンの街で、また別の大きな壁が日本女性によって破られた瞬間だった。
マラソン6戦目で初めて経験する快感だった。「今まで五輪がかかっていたりとか、順位がメーンだったけど、自分自身のスピードの限界に挑戦できました」。世界最強ランナーの本音だった。序盤からぶっちぎり。待ち望んだ自分との闘いだった。スタート直後からの向かい風で、最終的に2時間19分台に「とどまった」が、記録樹立だけは譲らなかった。
変わらない気持ち。それが、高橋の強さの根源だ。1年前シドニー五輪金メダルを獲得し、どこへ行ってもちやほやされた。今年4月、CM出演など商業活動ができる「プロ」になった。たちまち6社と契約を結んだ。年収は軽く数億円に達する。だが、本職は何か忘れなかった。「私、変わってませんよね?」。親しい関係者に、時に真顔で聞いて確認してきた。小出義雄監督(62)も「金メダルのことなんて、もう忘れちゃってるよ。だから強えんだよ」と笑い飛ばした。
5月まで、CM撮影などで多忙な日々を送った。だが、目の前の1つ1つに集中することを忘れなかった。マネジメントを担当するIMG東京の安野仁氏は「あの集中力は、イチローと同じ。彼はバットを振り始めると、何も聞こえない。彼女も集中している時は、何も見えない。練習も同じで、雑音を排除できる能力がある」と証言した。
米コロラド州ボルダーでの練習開始は、五輪前の準備より1カ月遅れた。その分、集中した。足のサイズは左右とも五輪時より2ミリずつ小さく、体重は1キロ軽い。短期間で研ぎ澄まされた肉体が、あたかも軽々と世界最速ラップを刻み、壁をひらりと飛び越えた。
2冠をつかんでも、進化を止めるつもりはない。「練習次第だと思いますが、ラスト2、3キロで落ちたので、あと1、2分縮められるよう練習していきたいです」と高橋。小出監督は、来年の春秋に1回ずつフルマラソンを予定している。「日本のみなさんの応援あってのQちゃんだから、国内を走らせたいね」。来年、史上最強ランナーが日本を走る。限界はまだ見えていない。
◆賞金1300万円
高橋は優勝賞金のほかにボーナスなどで総額23万マルク(約1300万円)の報酬を獲得した。23万マルクの内訳は優勝賞金5万マルク(約285万円)と世界最高記録の10万マルク(約570万円)、2時間23分を切って優勝の6万マルク(約342万円)、今季世界最高と大会新のともに1万マルク(約57万円)の豪華なボーナス。プロランナー“Qちゃん”として初めてのフルマラソンで最高の滑り出しだった。(2001年10月1日付日刊スポーツ)