あの凜(りん)とした土俵態度は、もう見られない-。元小結で東幕下7枚目の豊真将(33=錣山)が初場所6日目の16日、日本相撲協会に引退届を出した。昨年の名古屋場所5日目の横綱日馬富士戦で、押し倒された際に右膝に重傷を負った。休場を続け、幕下転落の今場所に再起を懸けたが、昨年12月23日に引退を決意。この日、国技館内で師匠の錣山親方(51=元関脇寺尾)と涙の会見に臨んだ。

 埼玉栄-日大とエリート街道を歩むもケガで中退。アルバイト中に見いだされ錣山部屋の門をたたいた。思い浮かぶことに「新弟子検査の時、師匠に『ここから2人で頑張ろう』と言われたこと」と涙。血中コレステロール値の異常、左手首手術、破傷風による高熱なども克服した。30歳で新三役昇進を果たした苦労人らしく、思い出の一番も、14連敗で迎え千秋楽で白星を挙げた09年夏場所千秋楽(対嘉風)を挙げ「お客さんの温かい拍手と応援に励まされた」と話した。

 真面目で温厚。だが何より、豊真将を語る上で欠かせないのが手刀、塵手水(ちりちょうず)など丁寧な所作だ。錣山親方も「礼で始まり礼で終わる相撲道を体現できる数少ない力士。弟子ながら尊敬している」と称賛。北の湖理事長も「協会にとっても宝」と話し、年寄「立田川」を襲名し部屋付き親方として後進の指導、育成に期待した。【渡辺佳彦】

 ◆豊真将紀行(ほうましょう・のりゆき)本名・山本洋介。1981年(昭56)4月16日、山口県豊浦町(現下関市)生まれ。地元の中学卒業後、埼玉栄-日大と進むも故障のため1年で退部し大学も中退。アルバイト先の社長の紹介で錣山部屋に入門し、04年春初土俵。06年初場所で新十両、同夏場所で新入幕。11年九州で30歳6カ月と史上4位の年長記録(当時)で新三役(西小結)。通算415勝344敗106休、優勝は三段目1回、十両1回。三賞は敢闘賞5回、技能賞2回。得意は押し、右四つ、寄り。186センチ、145キロ。