7日の東京五輪野球決勝で優勝を決め歓喜する侍ジャパン
7日の東京五輪野球決勝で優勝を決め歓喜する侍ジャパン

東京五輪野球で金メダルに輝いた侍ジャパン。5戦全勝で他国を圧倒した戦いぶりを、近鉄、日本ハム、楽天で指揮をとり、13年WBC日本代表野手総合コーチだった梨田昌孝氏(68=日刊スポーツ評論家)が総括した。【取材・構成=寺尾博和編集委員】

日本は、日本らしい野球で勝ちきった。5戦のうち2試合が米国戦だったが、「力」に「力」で対抗する戦略ではなかった。各試合でバント、エンドランなどを駆使しながら点をとりにいく姿勢がみえた。

例えばタイブレークになった決勝トーナメントの米国戦は、10回裏無死一、二塁で栗原がバントを決め、甲斐がサヨナラ打で勝った。迫力不足だったとはいえ米国とは対照的だったといえる。

2日の準々決勝米国戦、10回裏に送りバントを決めた栗原陵矢(左)とサヨナラ打を放った甲斐拓也
2日の準々決勝米国戦、10回裏に送りバントを決めた栗原陵矢(左)とサヨナラ打を放った甲斐拓也

打線では、山田、坂本の1、2番が機能したが、カギを握ったのは「3番」の吉田正で、その役割を果たした。もっとも決勝で本塁打を放った村上の打撃は相手にダメージを与えることができた。

また常に次の塁をうかがう走塁も徹底された。守備も内外野とも堅実で、場面によって前進守備をとるなど失点を防ぎにいった。捕手の甲斐は投手にわざと首を振らせて打者を戸惑わせているふしも見受けられるなど思慮深さもあった。

日本のきめ細かい戦いは、「投」「打」に「守」「走」と、すべてに他国との差を見せつけた。戦前は勝って当たり前と言われてプレッシャーも感じただろうが、そこを勝ち抜いたのは立派だった。

わたしが08年から日本ハムを率いた際の主力選手だったのが稲葉監督だ。翌09年に主将を命じたのは、口数は多くないが、生真面目で弱音を吐かない我慢強さもあって、チームをまとめてくれると思ったからだった。

個人的には辞退した菅野、千賀が本調子であることを前提に、抑えは山本とみていた。しかし、大事な初戦を先発山本に託し、ストッパーに栗林、同じ新人の伊藤の中継ぎ起用など若手を前面にした戦いだった。

その若手が期待に応えたのは、稲葉監督がチーム内で言葉を交わしやすい、ディスカッションしやすい雰囲気をつくったからだろう。つまり“現代風”のマネジメントで金メダルにこぎつけたといえる。

優勝し選手たちに胴上げされる侍ジャパン稲葉監督(2021年8月7日撮影)
優勝し選手たちに胴上げされる侍ジャパン稲葉監督(2021年8月7日撮影)