<佐井注目>

阪神岩田稔投手(37)が26日、レギュラーシーズン最終戦となる中日戦(甲子園)後の引退セレモニーをもって、16年間の現役生活に別れを告げる。1型糖尿病を抱えながら09年WBC世界一メンバーにも名を連ねた左腕。不屈の闘争心の根底には、20年前に交わした父との約束があった。

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心をズタズタにされた夏からもう20年が過ぎた。

「う~ん…やっぱり今でも嫌な思い出になるかな。1型糖尿病で差別を受けたわけやから。でも、あの一件がなかったら、もし病気になっていなかったら、絶対にここまで長く野球を続けられなかったと思う」

岩田稔は今、父の広美さんと交わした約束に少なからず感謝している。

「内定が取り消された」 大阪桐蔭の西谷浩一監督から告げられたのは高校3年8月のことだった。高校2年冬に発症した1型糖尿病が原因で、社会人強豪チームへの進路が白紙に。「そんなん、おかしいでしょ!」。荒れに荒れた17歳を諭してくれたのは、普段は厳格な父だった。

「おまえ、絶対に恨んだらあかんぞ。逆の立場だったら病気の人を雇うか? だから恨むな。その代わり、いつかその会社に『岩田を取っておけば良かった』と思わせてやるんや」

この一言に背中を押されていなければ、阪神岩田稔の16年間は存在しなかったかもしれない。

「1型糖尿病でも、頑張ればなんでもできる。少しでも偏見をなくしたい」

関大を経てプロ入り後、背番号21はグラウンド内外で反骨心を力に変えてきた。マウンドで腕を振るだけでなく、同病の啓発活動も継続。知名度が高まると、日常からも病気へのイメージを変えにかかった。

「別に悪いことをしているわけじゃないのに、トイレでコソコソ注射するような惨めな思いを、子供たちにさせたくないから」

飲食店では食事前、あえて人目に触れる席でインスリン注射を打った。好奇の目を向けられれば、「これを打たな死んでまうんです」と赤の他人にも理解を求めた。

「病気の人は騒いだらあかんっていう印象もあるけど、やりたいことをみんな楽しんでほしいから」

カラオケでは「ももいろクローバーZ」の振り付けを完璧にコピーして盛り上げ役を担った。ありのままの姿で世間に訴えかけ続けた16年間。その意義はあまりにも大きい。

最近は「1型糖尿病」を「糖尿病」と表現される機会も格段に減った。サッカーJ1神戸のサンペールに自転車競技者、ボディービルダーにタレント、モデル…。皆が堂々と1型糖尿病を公表できる時代になったことが、何よりうれしい。

現役引退を決断後、09年WBCで投手コーチとして指導を受けた中日与田監督にも連絡を入れると、心に染みる言葉が返ってきた。

「野球教室に教えに行ったら、『阪神岩田選手と同じ病気です』と胸を張る子供が結構いるんだ。おまえがやってきたことは本当にすごいことだよ」

1型糖尿病患者の元巨人ガリクソンに勇気をもらった17歳はその後、入団会見時の宣言通り「患者の希望の星」に立場を変えた。

「まだ道半ばやけど、少しは他の患者さんたちの力になれたかな。内定取り消しか…。あの“事件”も頑張るきっかけになったよな」

全力で走り抜いた充実感は、苦々しい記憶さえも優しく塗り替えてくれそうだ。【遊軍=佐井陽介】

2001年 大阪桐蔭時代の岩田稔
2001年 大阪桐蔭時代の岩田稔