日刊スポーツ評論家の田村藤夫氏(61)が、ニッカンスポーツ・コム内で「みやざきフェニックス・リーグ」をリポートしている。関東第一から1977年(昭52)ドラフト6位で日本ハムに入団。19年に中日を退団するまでの42年間、選手、指導者としてプロ球団に所属して球界を生きてきた。今年はじめて球界から離れ、今までとは違う視点からかつての職場を見る。主に2軍を中心に取材を続ける田村氏の目に、育成の場はどう映るのか。

     ◇    ◇    ◇

私は日本ハムでレギュラーをつかんでから、打たれた配球について、他の選手が聞いているベンチで、首脳陣から詰問されなくなった。チーム内での立場が上がれば、言われなくなるものだ。

つまり、若い時にベンチで叱責(しっせき)される時が、捕手として試される時、ということだ。中には「逆球です」「コントロールミスです」と口にする若い捕手もいた。生々しいやりとりは瞬時に広まる。言葉を伝え聞いた投手は面白くない。たとえ本当に自身のコントロールミスであっても、内心その捕手にいい感情は持てなくなる。

そうした構図を理解して、若かった私は投手をかばったわけではない。当時の慣例に従ったまでだった。それが、少しずつ経験を積むにつれ、自分の言動によって、投手のメンタルは大きく異なってくるんだと考えるようになった。

バッテリーコーチになってからは、若い捕手には何度も言ってきた。

「サイン通りにピッチャーが投げて打たれたのなら、それは配球を反省するしかない。ただ、失投だとしても、それは言うな。いずれは自分に返ってくるんだから」

投手からすれば、自分の失投をかばってくれたと知れば、また厳しい局面でも捕手を信頼して思い切って投げられる。投手にはお山の大将タイプが多い。捕手が防波堤になったと知れば、意気に感じて投げることも多々あった。

私が知る中ではダイエー城島、日本ハム実松、ソフトバンク甲斐は投手に責任転嫁することはなかった。

捕手出身の監督は、捕手を追及する。投手出身の監督が失投した投手を責める光景を、私は知らない。投手は繊細で、どちらかといえば配慮され、捕手は中間管理職のようにあからさまに板挟みになる。捕手が詰問される様子が、投手に伝わることを想定して、首脳陣が意図的に捕手を追及するケースもあったと思う。

ここフェニックスリーグで試合に出ている捕手も、いずれ多くの修羅場をくぐるだろう。中には「それはコントロールがない投手に言ってください」と言いたくなる場面もあるだろう。私にも痛いほど分かる。分かるからこそ、この若い時に自分を鍛えると思って、グッとこらえてかぶる気持ちを持ってほしい。捕手をやったものにしか分からない苦しみだ。

レギュラーになりチーム内での立場が強くなるにつれ、首脳陣からの追及の代わりに、さまざまな重圧が降りかかってくる。チーム成績、投手の年俸、それこそ勝敗に直結するプレッシャーに襲われる。

配球には無限の筋道があり正解はない。答えのない配球と、サイン通りに投げられるか分からない投手の力量を加味して、信頼はするが信用はせずにサインを出す。その一瞬に、勝ち負けや、多くのものがのしかかってくる。

たった1人、捕手だけがファウルグラウンドにいる。それも逆向きでしゃがんでいる。捕手はつらい。そして、人間的にタフで強くなければならない。(日刊スポーツ評論家、この項おわり)