2021年、パ・リーグの優勝争いはシーズン最終盤までもつれた。球界再編から17年。オリックスが初めてリーグ優勝した。合併で心に深い傷を負った元近鉄、元ブルーウェーブの現、元応援団員。それぞれの秋を取材した。

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日本シリーズを1週間後に控えた11月半ばの昼下がり。京セラドーム大阪に近い大衆食堂で、オリックス応援団の3人に会った。

-久しぶりの優勝です

「何年ぶりやとかメディアは言うけど、僕らはオリックスバファローズの初優勝やと考えてます」

-前の優勝と今回、喜びは違いますか

「2004年(平16)の球団合併で、僕が愛した近鉄は死にました。愛する人が死んだようなもんです。今、愛する人と比べられますか」

-割り切れるようになったのはいつごろですか

「愚問や思います。言うたら05年の開幕からやけど、そこら僕ら以外には理解できひんとちゃいますか」

近鉄とブルーウェーブの合併から17年。両球団の応援団が団結し、オリックス応援団として歩んできた。3人は、互いに確認しあいながら、応援団のこれまでと今を語り始めた。

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04年の暮れも押し詰まったころ、ブルーウェーブの応援団、後藤正樹さんのもとに1本の電話が入った。近鉄応援団の和田益典さんだった。

「正月明けにでも、いっぺん会われへんか」

互いに愛するチームを失って3カ月。悲しみと虚脱感、怒り。うずくまったまま、みんなが、無為な時間を過ごしていた。だが、05年シーズンに向けて球界は動きだしている。応援団を解散するか、続けるか、そろそろ決めなければならない時期でもあった。

「とりあえず、会おか」と後藤さんは返した。

年が明けた1月4日、大阪・ナンバ。両応援団の3人ずつが集まった。「お互い、数は少ないけど熱く応援してきたよな」。和田さんが切り出す。「こんなことになったけど、合併は企業の都合や。選手もファンも応援団にも罪はない」。うなずく後藤さん。

「俺たちは、そこを訴えていかなあかん立場や思う。でも、応援を続けんことには、訴えられへん。傷をなめ合いながらでも一緒にやっていかへんか」。後藤さんは、和田さんの言葉に胸を打たれ、「そやな」と短く答えた。

実は、和田さんのもとには、合併球団の監督に就任する仰木彬さんから、人づてにメッセージが届いていた。「やってくれへんか」と。近鉄とブルーウェーブで監督を務め、いずれも優勝に導いた大恩人。その伝言は、2人の背中を強く押し、心の傷をいやした。

だが、東京と福岡の近鉄応援団は解散。大阪も団員の半数が辞めた。「合併反対の先頭に立ってたお前らが、なに応援してんねん」と批判された。合併で戦力倍増のはずが負けてばかり。球場は空席が目立った。応援団員の心には旧チームへの愛が、わだかまってもいた。「個々の葛藤はある。でも表に出したらあかん。新規のファンも含めて、みんなを引っ張っていくのが応援団。いつか自然に解け合っていくはずや」

京セラドーム大阪の右翼席には、旧近鉄の「いてまえ魂」と旧ブルーウェーブの「青波魂」の横断幕が掲げられている
京セラドーム大阪の右翼席には、旧近鉄の「いてまえ魂」と旧ブルーウェーブの「青波魂」の横断幕が掲げられている

オリックス側の外野席には、白地に赤の「いてまえ魂」と青の「青波魂」と描かれた2枚の横断幕。近鉄の赤、ブルーウェーブの青。合併で消えた2球団のチームカラーだ。05年の開幕戦から掲げられている。

オリックス応援団、大阪紅牛会会長を退き、今は応援プロデュースに回る和田さん(47)は「赤と青を混ぜて紫にするんやなく、互いに尊重してやっていこうという気持ちですね」と話せば、「過去をひきずらず、でも大事にしながら現チームを応援しようということです」と神戸蒼誠会会長の後藤さん(57)が応える。中学時代に入会し、高2で合併を経験。当時をかろうじて知る、紅牛会2代目会長の谷口一雄さん(34)が胸を張る。「いろんなもんを乗り越え、積み重ねてきた僕らの応援は、日本一やと思ってますし、そう評価もいただいてます」

今や応援の中心は20代。合併を知らない世代が、応援団を支えている。【秋山惣一郎】

(明日からロッテ編)