2003年(平15)の福岡ダイエーホークス売却案に端を発した球界再編問題を掘り下げる。04年9月18、19日に「ストライキによるプロ野球公式戦中止」という事態が起こるほど、平成中期の球界は揺れた。それぞれの立場での深謀が激しくクロスし、大きなうねりを生む。

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ホークスにとって「平成」は激動の時代であった。昭和最後の年に南海からダイエーとなり、福岡に移転。そしてまたも球団は親会社の手を離れた。

1989年(平元)から16年目のシーズンが終わった04年秋。ダイエーがついに力尽きた。2兆円にも及ぶ有利子負債に苦しんだ小売業界の雄は、ついにホークスを手放した。福岡事業と称した球団、ドーム球場、ホテルの「3点セット」のうち、すでに1年前にドーム球場とホテルを投資会社である米コロニー・キャピタル社に売却。一線を退いていたダイエー創業者の中内功は「福岡事業は聖域」と言い続けたが、その思いもむなしく散った。

「球界再編問題」は近鉄とオリックスの合併に端を発したものの、この合併が表面化する1年も前から「ダイエー身売り」はくすぶり続けていた。球界の経営者は2つの合併を模索し、1リーグ移行を描いた。今日の12球団維持は、合併に徹底反抗したダイエーの“遺産”と言えなくもない。

王ダイエー5年目の99年にリーグ制覇。勢いそのままに、星野中日を下し日本シリーズを制した。リーグ連覇した00年は日本シリーズでの「ON対決」が実現した。ミレニアムを迎えホークスは強くなった。03年にも4年ぶりの日本一。そして04年…。右肩上がりのチーム状況に反比例して、親会社は自主再建を断念した。

産業再生機構入りは文字通り「国営球団」にほかならない。野球協約上、認められず身売りを余儀なくされた。余談ではあるが、当時、産業再生機構の社長であった斉藤惇が現在、プロ野球コミッショナーというのも何とも不思議な因縁を感じる。

ホークス買収に名乗りを上げたのは情報通信会社のソフトバンクだった。ダイエーの産業再生機構入りに歩調を合わせ買収に乗り出した。当時ソフトバンク本社の財務部長で、現在ホークスの球団社長兼オーナー代行の後藤芳光は約1カ月の短期間で案件をまとめた。

後藤 これまで多くの買収案件に携わったが、その中でもホークス買収は一番大変で難しかった。(買収案件として)話があったのは10月に入ってから。普通の買収案件であれば、1対1の話し合いで済むが、ホークスの場合は(ドーム球場を保有する)コロニー・キャピタル社、ダイエー本社、NPB、プロ野球選手会、銀行団、産業再生機構、それに福岡の地元経済界の7社会…。これだけのところと1カ月足らずで調整する必要があった。

買収総額200億円。内訳はドーム球場を含めた興行権を持つ運営会社(ホークスタウン)が150億円、球団は50億円だった。本格的に携帯電話事業に乗り出そうとしていたソフトバンクにとって、ホークスは最高の「広告塔」となった。(敬称略=つづく)【佐竹英治】

ソフトバンク球団社長兼オーナー代行の後藤芳光氏(18年11月28日撮影)
ソフトバンク球団社長兼オーナー代行の後藤芳光氏(18年11月28日撮影)