斎藤が早実に入学した年の7月、野球部が活動する「王貞治記念グラウンド」が完成した。場所は八王子市南大沢で、国分寺の校舎から電車で約1時間かかった。ここから群馬の自宅まで帰ると約3時間となる。

同じ頃、斎藤の兄聡仁が大学受験に向けて都内でアパート暮らしを始めることになった。ここに同居が認められた。通学時間は約20分まで短縮され、ようやく人並みの生活になった。

斎藤 これは、すごい楽になりましたよ。

新たに炊事洗濯の問題は生じた。兄と分担して取り組んだが、なかなか弁当まで手が回らない。野球部には「1年生は学食を利用してはならない」という規則もあった。斎藤はパンを買い食いすることが多くなった。

斎藤 夕食も簡単なものは作りましたけど、やっぱり疲れていましたし、コンビニで済ませて寝ちゃうことも多かったですね。どんどん痩せていっちゃいました。

見かねた野球部長の佐々木慎一が、上級生に掛け合って学食を利用できるよう規則を変更した。周囲の支えで、少しずつ環境が整ってきた。

だが、まだ野球の話に入れない。入学して最初の試験で、複数教科に赤点があった。文武両道の早実は、学業にも厳しい。毎年、数人の生徒が留年になる。野球部の先輩が留年して、クラスメートになったこともある。

斎藤 部ではもちろん先輩なんですけど、同じクラスに机を並べて座っているんです。不思議ですよね。

1学年約400人の生徒で、斎藤の試験成績は「いつもビリから数番目」。留年は身近にある恐怖だった。

斎藤 野球はどれだけしんどくても、やめたいと思ったことはない。でも早実の勉強はしんどすぎて…。本気でこれはきついと思った。投げ出したいけど、それだと野球ができなくなってしまうし…。

赤点を取った後、野球部長の佐々木が朝の個別補習を開いてくれた。毎朝7時15分スタート。通学時間を短縮するため兄と2人暮らしを始めたのだが、起床時間はあまり変わらなくなってしまった。

佐々木 彼は挫折しませんでした。いつも欠かさず来ていましたよ。頭のいい子ですから、成績が悪いのは勉強の仕方、要領が分かっていないだけ。だから、そこを身につけてほしかったんです。

2期制の早実は、前期の期末試験と夏の西東京大会の日程が重なる。そこで野球部は「勉強合宿」と称する泊まり込みの勉強会を開く。練習を終えた後、各自が合宿所で自習をして大広間に雑魚寝した。

斎藤 カフェイン飲料を飲みながら夜中まで勉強していましたよ。

補習と勉強合宿のおかげで、赤点はなくなった。同時に1年夏の西東京大会は背番号18でベンチ入りを果たした。秋には主戦投手の1人としてマウンドに上がるようになった。

通学、生活、勉強…すべての環境が整い、ようやく野球の話に入れる。(敬称略=つづく)【本間翼】

(2017年9月14日付本紙掲載 年齢、肩書きなどは掲載時)