つい先日のように思える。今年もすでに地方予選は始まっている。夏の甲子園、聖地で繰り広げられる全国高校野球選手権大会。エースで4番。チームの柱として中京大中京を優勝に導いた。堂林翔太内野手(23)。早いものだ。あれからもう6年が経過する。いまや広島の中心選手になる存在。久々に鳴尾浜球場に姿を見せた。いい星の下に生まれ育った選手。高校野球にしても強運を含めた“何か”を持ち合わせていないと頂点には立てない。プロ3年目でのレギュラー獲得も、入団後2年間のファームの成績を見る限り、普通なら1軍定着は見送られているはず。それが…。

 だからといって、努力もせず、あり来たりの練習をしているだけでは進歩はない。力もつかない。昼夜を問わず練習をした。骨身を惜しまず野球に取り組んだ。元々素材は一級品だが、試練に耐える時がきた。試練とは信仰、決心、実力の程度をためすための苦難である。そして、この世界「与えられた試練は、自分に打ち克つチャンス」だという。要するに、この機に乗じて心、技、体の充実を計り、レギュラーとして自他共に本物だと認めさせる力をつけるチャンスなのだ。昨年の左手薬指骨折。高卒選手としては順風満帆。快調に進めてきた歩調に狂いが生じたが、試練だ-。チャンスは自分の手でつかんでほしい。

 鳴尾浜球場での広島戦、今季すでに4試合消化してるが、何故か、堂林の姿を見るのは今回が初めてのような気がする。私が勝手に「まだ故障が癒えていない」と思い込んでいたと思えば、1軍の試合にも出場。ファームでもゲームには結構出場している。6月29日現在、30試合に出場し、111打数29安打12打点、3本塁打の成績を残しているし、本人は「もうケガはなんともないです。ただ、ボクに力がないだけです」と話した。苦しかったはずの故障の話をしたが、笑顔がのぞいた。もう心配ないと見た。調子が上向いている証しでもあった。今回の鳴尾浜遠征で1試合は雨で流したが、2本のタイムリーを放って勝負強いところを見せつけ、アピールした。

 高監督も明るい見通しを立てていた。「故障はもう全然大丈夫ですね。調子の方もかなりあがってきていますよ。1軍に関しては、もういつでもいけますから上の選手との兼ね合いになってくると思います」である。手応えは十分感じている。若手のホープ。いまさら言うまでもないが、堂林といえば元来注目度は高い。プロ3年目に当時の野村監督が将来性を見込んで大抜擢。この年、三塁手として起用すると、期待に応えてチームで唯一144の全試合に出場。チームトップの14ホーマーを放ってブレーク。並みの選手ではできない活躍は、同監督が現役時代に付けていて、以後7年間空き番だった“背番号7”を継承したというほどの実力の持ち主。やはり“何か”を持っている。

 昨年12月にTBSの桝田アナと結婚した。もう皆さんご周知のとおり。一人身の気楽な身分ではなくなった。扶養家族もできて責任ある立場。我々がとやかく口出しすることではないが、家族に心配をかけてはいけない。行き詰まっていたとしたら、そこは前を向いて思い切り汗をかくしかない。取材に行って、ちょっと先輩風を吹かせてみたくなった。「実はなあ、おれも中京商業(現中京大中京)出身なんや。後輩達の活躍している姿を見るのが楽しみなんや。大いに期待しているから、これからも頑張ってや」の声をかけてみると「そうですか。ありがとうございます。一生懸命練習をして、もっと力をつけて頑張りますので、よろしくお願いします」(堂林)力強く頑張る宣言をしてくれた。年齢差は50歳と少々。1軍での大活躍を心待ちしている。

 「練習はテーマを決めてやらにゃ。テーマを持たない練習なんか無意味やな」。著書「野村の考え」にも載っていると思うが、阪神の監督時代よく口にしていたこと。確かに一流の選手は何も考えずに練習をすることはない。まだ一流までには達していないが堂林のテーマは-。「バットスイングの軌道が、自分の考えているイメージと、ちょっと違っていますので、今はその点を修正することを心掛けてバッティング練習に力を入れています。もっと、もっとレベルアップしないといけません」。

 試合前の打撃練習に注目した。打席の堂林は、バットを構える際、バックスイングの途中、バットがトップの位置に行く前、グリップの右手を一度左手から放し、もう1度トップの位置で普通のグリップに戻して、きた球を打っている。わかりにくい説明で申し訳ない。幾度となくその動作を繰り返し軌道修正に集中していた。その効果があってか、鳴尾浜から本拠地・由宇へ帰った直後の中日戦でホームランを打っている。1軍、いよいよかな。