2001年(平13)春、仙台育英(宮城)は東北勢で初めてセンバツ決勝に駒を進めた。左腕エース芳賀崇(31)は準決勝まで4試合完投勝利。だが、満を持して立った決勝のマウンドは、それまでと全く感覚が違っていた。

01年センバツ 宜野座打線から14奪三振を奪った仙台育英・芳賀崇
01年センバツ 宜野座打線から14奪三振を奪った仙台育英・芳賀崇

 東北勢として初のセンバツ決勝の舞台。仙台育英エース芳賀は落ち着きすぎていた。

 芳賀 マウンドから、アルプス、電光掲示板、今何時何分かまではっきり見える状態。いい試合が始まるんだなあと思っていました。

 初回表、常総学院の先頭打者にエラーで出塁を許した。そこから試合前半の記憶は、ほとんどない。

 芳賀 気付いたらランナーがいて、気付いたら点が入っていた感じです。5回が終わった時、佐々木(順一朗)監督から「しっかりしろ」と言われて、そこから何とか持ち直しました。終盤みんなが打ってくれたけど、届かなかった。今振り返ると、なんでもっと「勝つ」という強い気持ちで試合に入らなかったのか。みんなに申し訳なかったと思います。

 大会前から「東北に優勝旗を」がチームの合言葉だった。

 芳賀 自分の口でも言ってきましたし、プレッシャーではなく、そのためにどうするかと、ずっと練習してきました。(優勝旗を)取って当たり前。あのぐらい練習したんだから、僕らはとれるはず、と思っていました。5試合の中で、決勝だけ意識が違ったことが悔やまれます。

01年センバツ 2回戦から決勝までのスコア
01年センバツ 2回戦から決勝までのスコア

 その夏の県大会は、後にヤクルトで野手に転向する左腕高井雄平擁する東北を延長11回の末、1-0で倒し、3季連続出場を勝ちとった。今でも語り草にされる緊迫した投手戦だった。

 芳賀 高井は私とタイプが違って剛球で、キレもあって、空振りをバンバン取る。比べて私は、うまくバッターを崩しながら打ち取っていくタイプ。高井は三振の山を、私は内野ゴロの山を、という感じでした。あっという間の11回だった。いつ決まるのか。いつまで行くんだろう。このままずーっと試合をしていたい、と思うぐらいの試合でした。

 「春の忘れ物を取りに行こう」を合言葉に、優勝を目指して乗り込んだ甲子園は、1回戦で宜野座に1-7で敗れた。

 卒業後、早大へ進学。プロに行きたい気持ちはあったが、故障や人間関係に苦しみ、リーグ戦で登板をすることは4年間なかった。大学卒業後は、東京にとどまりカラオケボックスのアルバイトなど、フリーター生活を送った。

 転機は27歳。子どもが生まれたのを機に帰郷。母校仙台育英にあいさつに行くと、変わらず甲子園を目指す後輩がいた。「教師になろう」と新たな夢が生まれた。塾講師、県の特別支援学校などの勤務を経て、今年、教員採用試験に合格。4月から村田高校で保健体育を教え、野球部部長を務める。

 芳賀 日本一に何かしら自分が携わっていけたらと思っています。私はこれからも野球という環境の中で生きていきたい。それを誰かに還元するというか、感謝の気持ちも含めて貢献していきたいです。

 今年のセンバツで活躍した仙台育英エース佐藤世那は、過去にコーチを務めた宮城県中学選抜チームでの教え子。後輩は着実に育ってきている。(敬称略)【高場泉穂】