1996年、第68回センバツ大会初優勝した鹿児島実。このとき取材したエース下窪陽介投手のなにげないひと言がずっと記憶の中にあった。「頴娃(えい)町って知っていますか? ウチのおじいちゃんがお茶を作っているんですよ。一度ウチのお茶を飲んで欲しいです~」。頴娃という地名をこのとき初めて覚えた。そして、いつか「下窪くんのお茶」を飲んでみたいと思っていた。あれから20年以上が経ち、そのお茶を飲むことができた。場所は福岡市天神。福岡三越の地下2階。期間限定の販売コーナーに下窪さんはいた。

 「奥様層に人気ありますね~。ここの“地下アイドル”ですよ」

 同じ職場の店員からそう言われて、下窪さんは恥ずかしそうに笑った。年配のご婦人に試飲をすすめながら、なごやかに会話を楽しんでいる。「高校時代、あんなに人見知りだった僕が、ですよ。変わったでしょう?」。選手時代は見ることができなかった柔和な表情をみせて言った。

家業の製茶業を栽培から手伝っており、百貨店の催事場で店頭に立つ下窪さん
家業の製茶業を栽培から手伝っており、百貨店の催事場で店頭に立つ下窪さん

■横浜入団1年目は72試合に出場

 高校卒業後、日大、日本通運を経て、28歳のときに2006年大学社会人ドラフト5巡目で横浜ベイスターズに入団した。1年目は72試合に出場するなど活躍したが2010年に戦力外通告を受ける。「プロ野球を甘くみていました…」と野球人生にピリオドを打ち、知人の自営業などを手伝いながら学生野球資格回復を取得するなどして、第2の人生について考えていた。

 3年ほど前、家業の製茶業(栽培、販売)を手伝わないかと父和幸さんに誘われ、鹿児島に転居。祖父の代から続く「下窪勲製茶」(南九州市頴娃町)で働くことになった。年間の半分は全国を回り、百貨店の催事場や物産展でのPR、販売を行っている。

「ウチのお茶、ホント美味しいんです。どこにも負けてないと思いますよ」

 いただいた知覧(ちらん)茶は苦みや渋みが少なく、まろやかな甘さが口に広がった。鹿児島は静岡に次ぐ、全国2番目の産地で、知覧茶は高級ブランドとして広く愛飲されている。下窪さんの「やぶきた」は、2017年に県の農林水産大臣・最優秀賞を受賞し「かごしまブランド」の特産品にも認定された。

 幼少期からお茶で育ち「本物」の味を知る下窪さん。栽培にも携わる自分のお茶は味も品質も自信を持っているが、悩みもある。「お茶のお客さんと言うのは特徴的で、一度これと決めたら20年、30年、同じ銘柄を長く飲み、心変わりしない。『とにかく飲んでみて!』と声をかけて、おいしさを知ってもらうしかないんです」。

 「固定ファンを獲得する」。それはプロ時代も意識していたことだが「これほど大変なことだとは…」と苦労を口にする。それでも情熱を燃やせるのは、働き者の両親に対する、強い感謝と、尊敬があるからだ。

 「大変な思いをして土を作り、自然を相手に、毎日休むことなく農作業をしてきた両親。自分の親ですが、改めて『すごい』と思いました。家が忙しい中で、好きな野球をやらせてもらっていたんだな、とも。茶畑に出て、汗を流して作業することはスポーツと似ているところがあって、気持ちいいんですよ。自分に向いていると思います」。

 3月7日からは玉川高島屋(東京・世田谷区)の地下催事場で販売を行う予定だ。「たま~に(顔が)バレてしまいますが、それ(元プロ)を武器にすることはしたくないです」とこだわりを持っている。これからの目標、夢を聞くと「日本一になりたいですね」。何がどうなると日本一なのかと尋ねると「えっと、それはよくわかりません(笑)」と頭をかいた。

 「朝茶は福が増す」ということわざがあるほど、お茶は日本人の体質に合い、災いから逃れられる縁起の良いものとも言われている。従事して3年。まだまだ勉強中であるが、第2の人生を見つけた下窪さんの姿には、高校時代と同じ「誰にも負けない」という覇気があふれていた。そして“約束のお茶”は、本当においしかった。【樫本ゆき】