木更津総合(千葉)は、ドラフト候補の4番檜村篤史内野手(3年)が決勝3ランを放って、センバツ44年ぶり勝利を飾った。3回、同点に追いついた直後、左翼ポール際に公式戦初本塁打を運び、岡山理大付を下した。

 練習試合での7本とはまるで違った。打った瞬間の手応えで、檜村は本塁打だと分かった。ただ、公式戦第1号が甲子園になるなんて、夢にも思っていなかった。「今まで感じたことない当たり。すごくうれしいです」。同部屋の選手、チームメートのいとこ、両親もが「普段あまり表情を顔に出さない」と証言する寡黙な4番打者が、右手を大きく突き上げ破顔一笑だ。

 3回。同点とし、なおも2死一、三塁のチャンスだった。2球続いたスライダーを見送り、カウント2-0。「真っすぐが来ると思っていました」。グッと腰を回転させ、狙い通りの球を振り抜いた。打球は弧を描き、左翼ポール際へ吸い込まれた。母和美さん(44)が「幼稚園ははだしで過ごすところで、勝手に公園の木にも登っていました。小さいころから体幹が強かったと思います」と語る天性の体の強さが、貴重な勝ち越し3ランを生んだ。

 10安打8得点と大勝したが、実は「落ちこぼれの学年」だった。「(五島)監督から1年の時に『お前らの学年は打てない』と言われました」(檜村)。それから現3年だけ練習開始30分前に集合し、100スイングを日課とした。1年夏の甲子園で打率2割に終わった檜村は1発で汚名返上。五島卓道監督(60)も「(檜村は)借りを返せたのではないかな」と笑った。ともに苦労した背番号15のいとこ、矢代も途中出場しセーフティーバントを決めた。「一緒に勝てて良かったです」と、ポーカーフェースの表情が再び緩んだ。

 初出場で4強入りした1971年以来、44年ぶりの勝利。五島監督は「理事長が95歳で。初出場ベスト4のことを昨日も言われた。その上を見たいなんて言わせたくないが…まあね」と、約半世紀前の記憶を呼び起こされて苦笑い。しかし「目標は大きくです」。まだ見ぬ景色を見に行く。【和田美保】

 ◆檜村篤史(ひむら・あつし)1997年(平9)11月6日、千葉市生まれ。上の台小の「幕張ヒーローズ」で野球を始め、幕張本郷中ではポニーリーグの「千葉ジャガーズ」に所属。木更津総合では1年夏から背番号6。夏の甲子園では7番と5番で3試合フル出場した。2年秋から4番。家族は両親と弟。180センチ、75キロ。右投げ右打ち。