プレーバック日刊スポーツ! 過去の3月30日付紙面を振り返ります。2006年の5面(東京版)はセンバツ高校野球2回戦での早実-関西戦が延長15回再試合になったことを報じています。

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<センバツ高校野球:早実7-7関西>◇29日◇2回戦◇甲子園

 早実(東京)-関西(岡山)の古豪対決が延長15回7-7で、大会規定により引き分け再試合となった。早実のエース斎藤佑樹(3年)は、9回に追いつかれたが、力投231球、1人で投げ抜いた。再試合は30日の4試合目に行われる。

 インタビューを受けるお立ち台に、斎藤は上がらなかった。ひじ肩をアイシングしながら、グラウンドコートを着こんだ。「点を取ってもらったのに守れなかった。明日(今日30日)はどんな試合になるか分からないですけど、ゲームセットの声を聞くまで投げたい」と話した。視線は再試合に、もう向かっていた。

 まさかの延長だった。3点リードの9回裏、無死満塁から走者一掃の三塁打を浴びる。さらに2敬遠で満塁策を取った。だが、絶体絶命の大ピンチで後続を投ゴロ併殺、さらに三振でしのいだ。ナインがベンチに戻った時、和泉実監督(44)は「おもしれぇじゃねえか」と笑って一言声をかけた。試合を楽しもうという監督流の気遣いで、斎藤は再びエンジンをかけ直した。

 延長10回からは2安打しか許さなかった。「味方が点を取ってくれるまで我慢しようと思った」。粘る粘る、180球…190球、まだ投げる。監督は代えない。ナインも再三のピンチも「斎藤に感謝しながら守った」とレフトの船橋(3年)がいうように懸命に守った。

 勝ちがなくなった15回裏は、気持ちで3者連続三振で締めた。序盤には自己最速の145キロ、直球が狙われた終盤からはスライダー。231球を投げ抜いた。「12回までは(2年春の都大会で)投げたことがある。(ひじ肩は)少し張ってるけど大丈夫です」。大会規定が延長15回打ち切りとなって以降、2度目となる再試合にも登板したい意欲を見せた。

 リベンジしたい。延長戦で粘れた思いよりも「悔しい気持ちです」という。和泉監督は試合後、連投の可能性に「宿舎に帰ってから考えます」と明言を避けた。早実の甲子園春夏通算50勝目は、ひとまずお預けとなった。だが戦いは、すぐに訪れる。

◆9回3点差追いついた

 関西 4-7とリードされた9回無死満塁、4番安井一平遊撃手(3年)が右中間へ3点三塁打を放ち同点に追いついた。6回途中から登板したダース・ローマシュ・匡(たすく=3年)が不安定な投球内容だったが、安井の同点打で生き返った。10回以降は無失点。「安井はさすが関西の4番だと思った」と主砲に感謝した。江浦滋泰監督(36)は「負けは何度も覚悟した。ダースは悪かったが、少しずつ良くなった」と振り返った。ダースは「158球投げたが、自分は連投の方が調子が上がる」と早くも今日の再試合を見据えていた。

◆打撃戦一転投手戦

 <関-早>両チーム譲らず、延長15回引き分け。関西は3点を追う9回、無死満塁で安井が走者一掃の三塁打を放ち土壇場で追いつく。さらに無死満塁のサヨナラ機は後続が凡退。早実は優位に試合を進めたが守り切れなかった。10回以降は早実・斎藤、関西・ダースの両投手が踏ん張った。

◆過去春夏3度ずつ

 延長規定回数をフルに戦っての引き分けは春、夏の甲子園で3度ずつしかない。春は62年に作新学院-八幡商が18回引き分け。スポーツ障害予防などを理由に18回が15回に短縮された00年以降は、03年の東洋大姫路-花咲徳栄戦以来になる。前回の引き分けはアン(東洋大姫路)が191球、福本(花咲徳栄)が220球を投げ、両者完投。翌日再試合は東洋大姫路が延長10回サヨナラ勝ちした。

 早実・斎藤は231球も投げた。80年以降に甲子園で230球以上を投げたのは90年春の寺前(北陽、238球=新田戦)91年夏の井手元(四日市工、232球=松商学園戦)98年夏の松坂(横浜、250球=PL学園戦)だけ。センバツでは寺前以来16年ぶりだった。

※記録と表記は当時のもの