阪神戦1000勝に、巨人原辰徳監督(56)は「重い勝負を両軍が重ねてきて、立ち会うことが出来た」と感慨深げだった。2番片岡治大内野手(32)が先制3ランで的中。代名詞の「企て、動いて、勝つ」で節目を刻んだ。

 選手として、監督として。30年も阪神と戦っている。思い出は「選手として、ではない」と言った。「08年の優勝が、一番印象に残っている。13ゲーム差を追い上げていって、最後の最後に逆転できた。特に9月からの時間は、実は本当に長く感じて、苦しかった。遠い差だったし、厳しい日々だった」。球団81年の歴史で、最も大きな逆転劇が忘れられない。しのぎ合う日々に鍛えてもらった。

 腹を据えた覚悟と言葉には、本物の強さが宿る。父に授かった哲学を形にできた優勝だった。だからこそ脳裏に焼き付いていた。

 原家は毎年、神奈川県の大山阿夫利神社に初詣する。昨年死去した父貢氏は、必ず1本の木刀を買って帰った。材質は貴重な、枇杷(びわ)だった。「枇杷の木刀は硬いが、樫(かし)よりもうんと、値段が高かった。使うわけじゃないのに」。不思議に思って尋ねた。「何かあったとき、オレはこれで守る」と言われた。心底うれしかった。

 父にならい枇杷の木刀を買い続けた。「ある時、買うのをやめた。オレは木刀がなくても、もう大丈夫と思えた」。06年、再び監督を引き受けた当時と重なった。「オヤジは命がけで家族を守ろうとした。覚悟があったから、迫力があった」。覚悟を携えた言葉は、刀にまさる武器になる-。

 当時、阪神は強者で巨人は弱者だった。「甲子園の阪神戦で躍動してこそ、巨人軍の選手だ」の強い言葉で、何度も訴えた。月日を費やして劣勢を押し戻し、逆転させた象徴が08年の優勝。ここを境に殺し文句は使わなくなった。

 「今日の1勝からスタートする」。選手として対阪神195勝。監督として134勝。覚悟を胸に、ときに言葉で鼓舞して。年輪を刻んでいく。【宮下敬至】

 ▼巨人が阪神戦通算1000勝を達成した。阪神戦の初勝利は、沢村栄治がプロ野球初のノーヒットノーランを記録した36年9月25日(通算2試合目)で、通算成績は1000勝778敗67分け。同一カード1000勝はプロ野球史上初めてとなり、次いで中日戦989勝、DeNA戦978勝、ヤクルト戦956勝、広島戦936勝の順。巨人以外の球団では中日の阪神戦931勝が最も多い。

 ▼監督別では長嶋監督の222勝が最多。原監督は134勝126敗12分けで4番目に多い。勝率は藤田監督の6割4分8厘がトップで、藤田監督は指揮した7シーズンすべて勝ち越した。阪神戦で白星を挙げた巨人投手はポレダで141人目。最多は堀内の48勝で20勝以上が14人。現役最多は内海の21勝。