2015年も多くの選手が球界に別れを告げた。「さよならプロ野球」で新たな人生を歩み出した元選手を紹介する。 

7年前のやりとり―。

 「明石焼き、知ってます?」「知らん」「タコ焼きよりずっとうまいですよ」「似たようなモノだろ」「ゼーン然、違う。オカンの明石焼きは違う。本当にうまい。何なら食べてみます?」「そこまで言うなら」

 お互い負けず嫌いだった。プチ口論の末、野間口の実家へ行くことになった。

 兵庫・尼崎。台所に母秀子さんが立っていた。エプロン姿で頭にバンダナ。テーブルには、たこ焼き器。穏やかな笑顔で迎えてくれた。作り方にタコ焼きとの違いはない、ように見える。やや黄色が強いか。ソースは…天つゆ? 野間口に「いいから。熱いうちに」と勧められた。

 完敗だった。ふわふわ上品で、「うまいなぁ」と2人でひたすら食べた。秀子さんは穏やかなままで、黙って焼いてくれた。満腹になったころには午前2時を回っていた。隣の和室に布団が敷いてあった。まくらを並べてぐっすりと寝た。

 月日は流れた。11月23日の東京ドーム。高橋監督のセレモニーがあり、通路は人であふれていた。後ろから背中を押された。振り返ると、母によく似た野間口の笑顔。現役のエッジは、もうない。引退あいさつの出番を待っていた。「あっちに」と目線を送った先に秀子さんがいた。「オカンがドームに来ることは、もうないと思う。呼びました」。人垣を挟んで何とか会釈した。

 花束贈呈のときだった。3歩下がってファンに深々と頭を下げた母は、泣いていた。終わった後、息子は手紙を渡した。「封を開けたところは見てないんです。恥ずかしいんで。普通に、感謝の内容ですよ」。今どき珍しい手書きだった。

 ―7年後のやりとり。

 「かあさん、泣いてたね」「泣いてましたね」「明石焼き、最高だったな」「でしょ」「親孝行、できたんじゃないか」「だといいけど。小さいころから野球、野球。苦労かけましたから。どうかな」

 ドラフト自由枠で入団した。通算13勝。肘の手術で育成選手も経験した。紆余(うよ)曲折の11年も、母にとっては夢の時間。東京ドームのど真ん中で最後に泣いてくれたら、息子は「巨人に入って良かった」と思える。師走の東京・大手町。スーツ姿の野間口がいた。「選手としてお世話になった球団に、違ったいい形で貢献できたら」。2度目の〝親孝行〟が始まる。【宮下敬至】

 ◆野間口貴彦(のまぐち・たかひこ)1983年(昭58)5月31日、兵庫・尼崎市生まれ。関西創価(大阪)3年でセンバツ4強。創価大を中退し、シダックス入り。04年ドラフト自由枠で巨人入団。05年5月1日広島戦で5回コールドながら初登板初完投勝利。13年9月に右肘を手術し、同年11月から今年3月まで育成契約だった。183センチ、90キロ。右投げ右打ち。