プロは実力勝負!! 阪神の新人合同自主トレが8日、兵庫・西宮市内の鳴尾浜で始まり、金本知憲監督(47)が視察した。新人6選手のあいさつを受けると「プロ野球に入れば横一線」と方針を示し、フラットなスタートラインを強調した。ドラフト1位の高山俊外野手(22=明大)らルーキーのキャンプ1、2軍振り分けは1月下旬まで見極める。自身はドラフト4位から成り上がった。金本イズムで競争を促す。

 練習途中にルーキー6人衆が駆け寄ると、一塁側ベンチにいた金本監督自ら、グラウンドまで進み出た。輪の中心で話し出し、手のひらで水平のジェスチャー。「プロ野球に入ったら横一線だから。ヨーイドンの競争だから、順位は関係ない。思い切って勝負してください」。あくまで実力勝負。明確な方針を伝えた。

 ドラフト順位で、地位が確約されるわけではない。自らの野球人生が、証明している。91年のドラフト4位で広島入団。体の線は細く、目立たなかった。「キャンプで特打に入れてもらったことがない」と話したこともある。だが、周囲を圧倒する練習量で、大スターに駆け上がった。自らの歩みは、指導者としての教訓になっている。

 だから、ルーキーを色眼鏡で見ることはしない。純粋に力量を見極める。さらに、新人のはやる気持ちも手に取るように分かる。1分間に及ぶ訓示には続きがあった。

 「持っているもの以上のことをしようとしてもオーバーワークになるので、ケガだけは注意しなさい」

 輪の中で、2人に声を掛けた。昨年10月に右手有鉤(ゆうこう)骨骨折の修復手術を受けた高山と14年に右肘を痛めてメスを入れた竹安。春季キャンプの1、2軍振り分けは1月下旬まで熟考する。ドラフト1位高山の1軍行きも流動的。慎重に結論を下す。

 12月7日の新人発表会見以来、1カ月ぶりにルーキーと顔を合わせた指揮官は言う。「みんな大きく見えました。身長もあるし、横幅もある。すごく自分が小さく感じました」。新人には刺激的な言葉を投げ掛け、高ぶる心を抑えようともした。絶妙な手綱さばきで真っ白なスタートラインを引いた。【酒井俊作】

 ◆金本監督の若手時代 金本監督は91年ドラフト4位で広島入り。大洋(現DeNA)と重複した、斉藤肇投手(星陵)の外れ指名だった。1年目の92年3月1日オープン戦巨人戦(宮崎)に7番・右翼で初先発も、1回緒方の飛球を深追いし前田と交錯。一気に生還を許す痛恨のスタートとなった。公式戦初出場の6月2日阪神戦(岡山)では、初打席で中込に見逃し三振。同年はわずか5試合の出場で、3打数ノーヒットに終わった。2年目の93年は42試合に出場し初安打、初本塁打も記録。3年目94年には90試合で17本塁打と飛躍し、左翼の定位置を確保した。