野球殿堂入りが18日、東京都内の野球殿堂博物館で発表された。巨人で沢村賞を3度受賞した斎藤雅樹2軍監督(50)が選ばれた。

 斎藤2軍監督は「嫌々なとき」に転機が訪れた。殿堂入りの快挙は最初にきっかけを与えてくれた人に伝えた。「事前に言っちゃいけなかったけど母に2、3日前に伝えた。『良かったね』と言われたけど、こんなすごいことだとは思っていないと思う」。小5の時、リトルリーグの募集に母ユキ子さん(78)が内緒で応募した。「嫌々だった。ソフトボールはしていたけど母がいなかったら中学は軟式野球だったでしょうね」。大投手への運命が動きだした。

 プロ入り時は野球センスを買われて、野手の練習も行った。「今で言う二刀流。でも打撃練習を嫌々やっていてコーチに『やりたくないのか!』と言われて『やりたくないです』と返したことも」。だから当時の藤田監督が2軍練習を視察し、腰の横回転の動きを見てサイドスローを勧められたときも「抵抗はなかった」と受け入れた。

 通算180勝と名球会入りには届いていない。だが2年連続20勝、3度の沢村賞など戦績は「平成の大エース」の称号にふさわしい。中でも11試合連続完投勝利のプロ野球記録は、分業化が進んだ現在では不滅と呼ぶ声もある。「もうないでしょうね。やれる選手はいると思うけど、首脳陣にその気持ちがないでしょう。チームの事情を考えると難しい。僕がコーチなら…新記録をさせないために止めるでしょう」と豪快に笑った。

 大一番に強かった。優勝をかけた94年の「10・8」、中日とのシーズン最終戦は中1日、試合中に内転筋を負傷しながら2番手で好投し、勝利投手になった。槙原、桑田と「3本柱」と形容されたが、エースという1本柱は斎藤だった。

 幾多の記録の中で誇れるのは勝利に直結するものだった。「名球会に入ってない僕ですが、あえて言うなら勝率ですかね」。藤本、稲尾に次ぐ歴代3位の6割5分2厘。巨人のエースを張った男の誇りが凝縮されている。【広重竜太郎】

 ◆斎藤雅樹(さいとう・まさき)1965年(昭40)2月18日、埼玉県生まれ、市川口高から82年ドラフト1位で巨人入団。当時の藤田監督のアドバイスで1年目にオーバースローからサイドスローに転向。通算180勝96敗11セーブ、防御率2・77。89年に11連続完投勝利のプロ野球記録。90年リーグMVP。最多勝5度、最優秀防御率、最高勝率各3度、最多奪三振1度、ベストナイン5度、ゴールデングラブ賞4度、沢村賞3度。01年に引退後は04、05年を除き巨人投手コーチを務め、今季から2軍監督。現役時代は181センチ、90キロ。右投げ右打ち。