ヤクルト由規投手(26)が復活した。中日打線を相手に5回1/3を投げ2失点。11年9月3日の巨人戦以来、実に5年、1786日ぶり勝利だ。9日の中日戦(神宮)で復帰登板してから2試合目で念願の白星をつかんだ。13年に右肩を手術。昨オフには育成選手となり背番号は121に。7月5日に支配下登録され、背番号も元の11を背負い、再スタートを切った。これでチームも4位に浮上した。

 涙があふれ出てきた。すべての取材を終え、由規は父均さん(55)、母美也さん(56)とベンチ裏の一室で一緒になった。試合後のヒーローインタビューでは目の中に光るものはあってもこらえていたが、もう我慢できなかった。「この5年間は、いい思いをさせられなかった。やっと勝ったところを見せられた」と、目をぬぐった。

 母も泣いていた。「長かったです。私たちには弱音を吐かない子で。ちょっと落ち込んでいるなと感じて、顔色を見ないといけないと思い、新幹線で(仙台から)出てきたこともありました」と振り返った。12年、右肩に続いて左すねまで痛めた時、大宮に用事があったからとうそをついて、2軍施設のある戸田にいる息子の様子を見に行ったという。

 父は感動していた。「闘争心が見えた。メークヒストリー。努力をすれば勝てる。今日は勝ちにこだわった投球をしていた。由規のセカンドステージの1勝です」と奮闘をたたえた。

 由規は、お世話になった人すべての思いに応えるために98球を投じた。3回1死二塁では平田を143キロ内角高め直球で遊飛に。5回2死一、二塁のピンチでは3回に適時打を許したビシエドを、スライダーで遊ゴロに抑え、勝利投手の権利をつかみとった。「5年前みたいな力で押す投球ではないが、とにかく今は一生懸命投げている」と感慨深げに語った。かつて日本人最速の161キロを記録した直球は146キロ止まり。新球ツーシームも使い投球の7割以上を変化球が占めた。

 ファンへの感謝の思いも強い。ヒーローインタビューを終えると、左翼席のファンに向かって5秒以上深々と頭を下げ続けた。勝利への願いは、小さな葉っぱに込めている。リハビリ中、ファンから4つ葉のクローバーをもらうことがあった。「ファンの人が必死に探してくれた。自分が戻る日を信じてくれているのかなって思って」。今でもバッグや自宅に保管している。昨オフ、アンバサダー契約を結ぶミズノ社に、デザインの変更を頼んだ。使用するグラブ、練習着の左袖に入れたのが「4つ葉のクローバー」の刺しゅうだ。「これからは1つ1つ恩返しをしていきたい」。あらためて誓った。【矢後洋一】

<故障からの復活勝利>

 ◆85年村田兆治(ロッテ) 83年に右肘を手術。4月14日西武戦で82年5月7日日本ハム戦以来、1073日ぶりの勝利。

 ◆92年荒木大輔(ヤクルト) 88~89年に3度の右肘手術。10月3日中日戦で88年5月6日阪神戦以来、1611日ぶりの勝利。

 ◆96年伊藤智仁(ヤクルト) 右肩を痛めて2年間登板なし。6月11日中日戦で93年7月4日巨人戦以来、1073日ぶりの勝利。

 ◆01年盛田幸妃(近鉄) 脳腫瘍を克服。6月13日ダイエー戦で98年6月27日ロッテ戦以来、1082日ぶりの勝利。

 ◆03年岩下修一(オリックス) 01年に急性骨髄性白血病を発症。9月7日近鉄戦で00年5月5日ロッテ戦以来、1220日ぶりの勝利。

 ◆15年館山昌平(ヤクルト) 3度の右肘手術から復活。7月11日DeNA戦で12年9月25日阪神戦以来、1019日ぶりの勝利。