【前回】現在ロッテで2軍投手コーチを務める小谷正勝氏(71)。投球全般について座学を受けていた12年の8月、「暑気払いをしよう」と呼ばれた。

    ◇  ◇    

 小谷氏の自宅を訪れると、庭から「こっち」と聞こえた。家族や気の置けない仲間とバーべーキューをすることになったという。現役-スカウト-コーチと44年間もプロの世界で戦っていた。この1年だけ穏やかに、一家の主を全うしていた。

 周囲はうれしそうで、小谷氏は黙々と炭おこしをしていた。氷の詰まった発泡スチロールに初物のサンマが入っていた。手返しよく、汗びっしょりで焼いている大柄の人がいた。Tシャツをめくった両肩が、投手に特有の盛り上がりをしていた。「焼けたよ~。はい」と振り返ったのが盛田幸妃さんだった。「はじめまして。おいしいうちに食べよう」と言われ、軒先に上がった。

 鋭利なシュートで、当時の落合博満が名前を挙げて苦手としていた盛田さん。作業が一段落した小谷氏が、「盛田は気が強い上に投手として頭が良くて、納得できないと人の言うことを聞かない節があった。周囲から『面倒くさいヤツ』とて見られがちだった。私はそうは思わなかった。ピッチャーは、闘争心がなくてはいけない」と言った。

 サンマをきれいに食べながら、盛田さんが続けて言った。

 「このお父さんはね、人を色眼鏡で見ない。田舎から出てきて、やんちゃだったオレをちゃんと見てくれた。見てくれているのが分かって、納得できたから、言われた通りにやった。そしたら、1軍でプレーできた。お父さんの言うことは何でも聞くと決めた。今の現役でも迷ってる子は多いだろうね。自分は幸せだった」

 ちょっとの間があり、周囲のにぎやかな笑いに押されて、輪に戻った。

 冬になり、学んだ1年間を本にする計画が持ち上がった。学びのテーマは技術論がほとんどだったため、触れ合った選手との思い出も加筆して残そう、と決まった。「小谷の投球指導論」から盛田さんの項を一部抜粋する。

    ◇  ◇    

 (前略)横浜ベイスターズ元年、93年だった。盛田は自主トレで右膝の靱帯(じんたい)を断裂し、人工靭帯で補う大手術をした。苦しいリハビリを克服して以後も、変わらぬスタイルでカムバックを果たしひと安心していた。近鉄バファローズにトレードで移籍した後、98年に大変な事が起きてしまった。

 「小谷さん、足首が思うように動かなくって、足の筋肉がけいれんする回数が増えてきたのです」と言う。私は痛めた靭帯の影響とばかりと思っていた。だが、しばらくすると「頭、すなわち脳検査をする事になりました」との報告を受けた。何が起こったのか理解できないでいた。

 検査の結果は「脳に腫瘍があり、他の神経を圧迫して、足のしびれのような症状が起きる」というものだった。手術は成功し、盛田はカムバックを果たしてみせた。膝の手術といい、脳の手術といい、とてつもない大手術を行い、マウンドに戻ってきた。その精神力には敬意を表するしかない。

 彼とは長い付き合いであり、取り巻く関係者の中でも妻・倫子さんの苦労は間近で見てきたし、想像に難くない。その心境というか苦しみは、本人以上であったと察する。倫子さんなくしては盛田のカムバックはなかったと断言できる。この項であえて残しておきたいと思った次第である。

 2度も1軍の舞台に復帰してくれた盛田に、もう1つだけ注文を出したい。

 チャンスがあればもう1度ユニホームを着て、後輩の指導に当たってほしい。あの「天下のシュート」を投げられる人材と出会うかどうかは分からないが、盛田2世の育成にトライしてほしい。シュートの技術はもちろん、何があっても諦めないその強い気持ちを、野球界の後輩たちにも伝えてもらいたい。

    ◇  ◇    

 小谷氏は、この文章を12年の年初には書き終えていた。前年の秋に購入したタブレット端末で真っ先に記し、ずっと眠らせていた。培ってきたノウハウを残す。盛田氏への思いを形にして、励ます。強い気持ちを感じた。

 昨年の10月16日、盛田さんは死去した。45歳だった。がんの転移が認められても屈せず、夫婦二人三脚で病気に立ち向かっていた。小谷氏はずっと前から盛田さんの体調を周囲に確認し、楽観はできないと知り、いつも心配していた。その上で最後まで普段と変わらずに接し、よき父のまま送り出した。【宮下敬至】

 ◆小谷正勝(こたに・ただかつ)1945年(昭20)兵庫・明石生まれ。67年ドラフト1位で大洋入団。通算10年で285試合に登板し24勝27敗6セーブ、防御率3・07。79年からコーチ業に専念。11年まで在京セ・リーグ3球団で投手コーチを務め、DeNA三浦、ヤクルト石川、巨人内海らをエースに育て上げた。横浜時代の佐々木、ヤクルト時代の五十嵐ら、個性あるリリーフの育成にも定評がある。13年からロッテ2軍投手コーチ。

 ◆盛田幸妃(もりた・こうき)1969年(昭44)11月21日生まれ。北海道茅部郡鹿部町出身。函館有斗(現函館大有斗)時代に春夏合わせて3回甲子園に出場。87年ドラフト1位で大洋(現DeNA)入団。リリーフに回った92年は最優秀防御率を獲得した。96、97年開幕投手。97年12月、中根仁とのトレードで近鉄移籍。98年9月、左頭頂部にできた脳腫瘍の手術を受け、01年6月13日ダイエー戦で1082日ぶり勝利を挙げた。同年カムバック賞受賞。02年限りで引退した。オールスター出場3度。現役時代は186センチ、89キロ。右投げ右打ち。