この日のために、広島黒田博樹投手(41)はカープに戻ってきた。男気(おとこぎ)右腕が優勝決定試合に先発し、6回3失点の力投で9勝目を挙げた。味方の死球で相手バッテリーにすごむなど闘志あらわ。史上2人目の日米通算200勝を達成した今季。マウンドで力投するだけでなく、ヤンキース時代の同僚で主将デレク・ジーターが果たしていたキャプテンシーを発揮し、チーム一丸の結束を高めた。緒方監督に続き、男泣きしながら、ナインに胴上げされた。

 黒田が泣いた。ナインがマウンドへ駆ける後ろ姿を見ながら、優しい表情でベンチを出た。歓喜の輪の中、新井と抱き合うと、こらえていたものが崩れた。「こういう機会は、長い野球人生でもない。最高のチームメートと野球ができて僕自身うれしかった」。何より願った広島での優勝-。止まらない涙を拭うと後輩たちに囲まれた。

 1回、坂本に2ランを浴び先制されるも、2回以降は立て直した。4回には2死球目を与えた巨人マイコラスに、両手を広げながら強く抗議する場面もあった。この日もグラウンドでは戦う姿勢をナインに示した。

 グラウンドを出れば、若手と同じ目線で話をした。黒田には今も鮮明に残る光景がある。初めて足を踏み入れた、本拠地ヤンキースタジアムのロッカールーム。そこでは、チームの顔である主将ジーターが、マイナーから昇格したばかりの選手に気さくに声をかける姿があった。ニューヨークだけにとどまらず、全米で絶大な人気を誇る世界的スーパースターの姿勢に、黒田は驚きながらも、自分が間違っていないことに気付かされた。

 「プロ野球選手として良く扱われるのは今だけ。そこでの立ち居振る舞いが大切だと思っている」

 広島に復帰した昨季、黒田が意識しなくても、周りは意識した。広島復帰前年は名門ヤンキースの大黒柱として11勝。大リーグで5年連続2桁勝利の実績とともに、巨額年俸のオファーを蹴って加入。野球に対する妥協なき姿勢は、驚きを与えるほどのストイックさで、登板2日前には周囲が近づき難い緊張感を放った。「男気」という言葉が独り歩きし、チームメートとの距離も生まれた。

 だが、黒田はジーターと同じように若手と同じ目線に降りることで距離を縮めた。「こっちに帰ってきて先輩、後輩というのはない。同じ1つの目標に向かって戦っていく仲間。この年齢になれば関係ない」。ときにミカンを野村のスパイクに忍ばせたと思えば、ときには薮田の帽子に虫を隠し入れた。今季は後輩を食事に誘うことも多くなった。気付けば、黒田の周りには笑いがあった。

 助言はいとわない。気付いたことがあれば声をかける。反対に後輩から球種の握りを聞くこともある。マッサージの順番を若手に譲ることも珍しくない。偉大な投手であり、尊敬され慕われる人でもある。あの日、黒田が見たヤンキースタジアムでの光景はマツダスタジアムのロッカールームでも見られた。緒方監督に続き黒田は5度宙に舞った。黒田の思いは後輩たちにしっかり伝わっていた。【前原淳】

 ▼41歳7カ月の黒田が勝利投手。これまでリーグ優勝決定試合の最年長勝利は83年10月10日高橋直(西武)の38歳7カ月。40代投手の白星でリーグ優勝決定は初めて。日本シリーズでも日本一を決めた試合で40代投手の勝利はない。

 ▼初のリーグV 黒田のリーグ優勝は日米通じて初めて。大リーグの地区優勝はドジャースで2度(08、09年)、ヤンキースで1度(12年)経験も、09年は地区シリーズで、08年と12年はリーグ優勝決定シリーズで敗退。