日本ハム栗山英樹監督(55)が、初の日本一を勝ち取った。敵地2連敗スタートの後、早めの継投策を繰り出すなど積極的に動き、4連勝に導いた。就任1年目の12年日本シリーズで巨人に2勝4敗で敗れた雪辱を果たし、広島の夜空に8度舞った。

 栗山監督は、誇らしい選手たちの手で8度、広島の夜空を舞った。笑顔も咲かせ、瞳に涙もためたが、想像とは違った。引き揚げ際に連呼していたのは「実感がない」との感想。恒例の号泣もなし。「あまりにイメージと違っていて。何が日本一なのか、分からなかった」。

 無力感から再出発した。就任1年目の12年にリーグ制覇したが、日本シリーズで巨人に敗れた。翌13年は最下位の6位。どん底を味わいながらも、悲願を成就した。孤独な監督業。選手に対し、時に情を捨てる。「人として、きつい部分はあるんだ」。痛んだ心身を癒やす特効薬はラーメン。遠征先で白星を挙げた時だけ、ご褒美で有名店へ。用具を運ぶトラックの運転手らと肩を寄せ、背中を丸めて麺をすする。やすらぎだった。

 口癖だった4年前の「忘れ物」を手にした。日本一監督の称号を得て北海道へ帰る。生活拠点を置く「栗の樹ファーム」で、ポストシーズンを控えた今月上旬に幻想を見た。冬には珍しくキレイな虹がかかった。

 今回は頂点へ手が届く、直感の通りだった。夢は実現したが、また夢の世界へ迷い込んだ。「うんとさ…。『北の国から2016~伝説~ 完結』と叫びたかったけれど…」。小首をひねりながら、何度も自分に問いかけた。理想の野球を展開できなかったが勝者には、なった。「このチームにとっては通過点。はき違えないようにしないと、いけない。勝った感じがしない」。4年前と同じ無力感。また答えを探す、旅に出る。【高山通史】

 ◆栗山英樹(くりやま・ひでき)1961年(昭36)4月26日、東京都生まれ。創価高-東京学芸大。83年ドラフト外でヤクルト入団。プロ1年目の秋にスイッチヒッターに転向し3年目に打率3割をマーク。89年に外野手でゴールデングラブ賞獲得。通算成績は494試合、1204打数336安打、7本塁打、67打点、打率2割7分9厘。90年に引退後はスポーツキャスター、大学講師などを務め、11年11月に日本ハム監督就任。今季推定年俸1億円。176センチ、74キロ。