米国や日本球界でも活躍する選手を送り出してきたキューバ。最高指導者を長く務めたカストロ氏の野球熱はよく知られていた。全日本野球協会の鈴木義信副会長(73)は「キューバで野球は国技。カストロさんも大リーグを目指そうとしたこともあったと本人に聞いた。野球に非常に熱い方だった」と振り返った。

 球界の要職とともに東芝メディカルで社長を務めた鈴木氏。第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)決勝で日本がキューバを破った2006年の夏に、医療機器の商談でカストロ氏と面会した。日本代表監督を務めた王貞治氏が、実力的にはキューバが1番と認めていたと伝えると「勝負は結果が全て。今後は日本の野球を勉強する。もし米国に負けていたら、監督はクビだったよ」と返ってきたという。深夜の面談は3時間に及び、そのうち1時間が野球談議だったという。

 お土産としてかぶとを持参。「革命家のあなたのように、日本では侍がこれをつけて戦った」との説明に、カストロ氏は「今までで一番うれしい」と上機嫌になったという。鈴木氏は「影響力は大きいが、とてもフランクな方だった。亡くなられて寂しい」としのんだ。