プレーバック日刊スポーツ! 過去の12月8日付紙面を振り返ります。2012年の1面(北海道版)は日本ハム斎藤佑樹投手がドラフト1位指名された花巻東・大谷翔平投手に「フィーバー対策」を伝授したことを伝えています。

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 日本ハム斎藤佑樹投手(24)が、入団が決定的なドラフト1位の花巻東・大谷翔平投手(18)に「フィーバー対策」を伝授した。7日、大阪市内で「ミズノ アンバサダーズ ミーティング」に出席。超目玉としてプロ野球の世界に飛び込んだ先輩として「自然体のままでやることですね」と、周囲に流されないことが不可欠とアドバイスした。入団1年目の11年にフィーバーを巻き起こしただけに、貴重な“金言”になりそうだ。

 注目を浴びるつらさを熟知しているからこその、アドバイスだった。斎藤が経験をもとに、後輩となればフィーバー必至の大谷に心構えを伝授した。「自然体のままでやることですね」。入団までの経緯は違えど、自分と同じように注目されながらルーキーイヤーを過ごすことになる。2軍施設のある千葉・鎌ケ谷やキャンプ地の沖縄・名護で繰り広げられたフィーバーの当事者として、マイペースを貫く必要性を説いた。

 苦い思い出がある。甲子園、神宮を沸かせ、アマチュア界のスターだった斎藤は、プロ入りを機にさらに視線を集めた。新人合同自主トレを行った鎌ケ谷では球場入りをテレビで生中継され、キャンプ期間中の観衆は前年の倍となる約2万7000人が集結。想像を絶する人気ぶりは、一瞬たりとも気を抜けないプレッシャーに変わった。初体験のプロの練習でも疲労が蓄積し、キャンプ中盤にはストレスによる腹痛を患ったこともあった。

 世間の目は、思い通りの行動をなかなかさせてくれない。斎藤も当時はジレンマを抱えていた。ファンサービスをしたくても、集まった観客が混乱する可能性を考え、サインなどを控えた時期も。そんな姿には、心ないファンからはヤジが飛んだこともある。大谷もメジャー挑戦の決意を翻意して入団を表明すれば、誹謗(ひぼう)中傷を受けるかも知れない。「それも経験して、プロ野球だと思う」(斎藤)。周囲に流されず、自分を持ち続ける必要性を訴えた。

 大谷が入団すれば、先発ローテーションを争うライバルにもなる。ただ「自分は自分で頑張るだけ」と、自らのレベルアップにだけ集中している。痛めている右肩は徐々に良くはなっているが、年内は体作りに専念。「優勝旅行もトレーニングですね」と、11日から6日間のハワイでも休むつもりはない。この日は、大阪市内で行われた「ミズノ アンバサダーズ ミーティング」に参加し、来季はグラブの色を赤に変更することに決めた。「気分転換ですね」と話した斎藤もマイペースを貫き、5勝8敗とふがいない成績に終わった今季の巻き返しに燃える。

<新人フィーバー>

 ◆荒木大輔(ヤクルト) 83年、甲子園のアイドルとして人気爆発。あまりのフィーバーで移動できなくなり、神宮球場とクラブハウスの間に「荒木トンネル」と呼ばれる地下通路ができた。

 ◆高橋由伸(巨人) 仮契約は大安の97年12月6日で、場所は500人収容の東京・新高輪プリンスホテルの大宴会場。翌98年宮崎キャンプでは、宮崎市営球場の正面に鉄柵による花道を設けてファンの殺到を防御。宿舎のホテルでは、一般客の出入りが時間帯によって禁止された。

 ◆松坂大輔(西武) 99年高知・春野キャンプは2月15日に1万5000人が集結するなどし、専属警備員が配置された。同年、カルガリー五輪スピードスケート銅メダリストの黒岩彰氏が専属広報に就任。球団公認個人マネジャーも兼務する異例のバックアップ体制。

 ◆寺原隼人(ダイエー) 02年、高知県警がキャンプ警備のため、警察官8人を派遣。ドラフト1位目当てにファン殺到が予想されたため早朝散歩では寺原を徹底ガード。

 ◆斎藤佑樹(日本ハム) 11年1月31日、キャンプ地の沖縄・名護入りした際、那覇空港では約1100人のファンの出迎えを受けた。沖縄県警は到着の様子をビデオ撮影し、映像を見守った県警本部から遠隔操作するという異例の警備を実施した。

※記録と表記は当時のもの