中日鈴木翔太投手(21)が「絶品ストレート」を取り戻した。19日、ウエスタン・リーグ選抜として派遣されていた台湾ウインターリーグから中部国際空港着の航空機で帰国。前日18日の決勝・イースタン選抜戦では先発し、5回3安打9三振無失点の快投で優勝に貢献。優勝投手を手土産に、4年目のシーズンにつなげる。

 海の向こうで優勝投手に輝いた鈴木の表情は、充実に満ちあふれていた。「決勝は後ろに全投手が準備しててくれた。いけるところまでというかたちだったので、1人目から全力で、1人1人に集中できた。決勝なので、いつもと違う緊張感もあったけど。真っすぐで押すこと、空振りが取れたことに手応えを感じました」。試行錯誤を重ねたプロでの3年間。13年ドラフト1位右腕が、来季先発ローテーション入りに名乗りを上げる。

 元監督の谷繁氏も、森監督もほれ込んだキレのある直球の復活に、自信を感じていた。台湾では先発、中継ぎを含め5試合に登板。3勝1敗、防御率2・37と安定した結果を残した。「腕も振れて、ボールのスピンがかかるようになった。グッと伸びるようになった」と、球速以上に感じる真っすぐが武器になった。鈴木が取り戻したかったそのものだった。

 状態が上がらないときは、球持ちを長くしようと無意識に歩幅が広くなっていた。今秋に7歩半から6歩半に変更。上からたたくイメージをより強くし、伸びのある直球を目指した。海を渡る前から取り組んできたことが実りつつある。「フォームは固まってきた。あとは日本のボールで投げて、微調整していくだけ」。今後も休まず、体は動かしていくつもりだ。

 活躍の裏では食生活に苦戦。地元の味付けや香辛料が口に合わず「早く白いご飯が食べたいです」と21歳は笑った。

 台湾での収穫は大きいが「1軍で勝っていかないといけないので」と表情を引き締めた。同世代の選手たちが集い切磋琢磨(せっさたくま)した環境も刺激になった。このままではいけない-。今季1軍登板ゼロの右腕は誰よりもそう感じているはずだ。【宮崎えり子】

<鈴木翔太(すずき・しょうた)アラカルト>

 ◆出身 1995年(平7)6月16日、静岡県浜松市生まれ。小1から浜北スポールジャイアンツで野球を始め、5年から投手。北浜東部中では浜松シニアでプレー。聖隷クリストファー(静岡)では1年夏から登板、2年夏4強、3年夏は8強。13年ドラフト1位で中日入り。背番号18。

 ◆素質 入団時の谷繁監督が「高校生では見たことのないバランス」とフォームを絶賛。森ヘッドコーチ(現監督)も直球の質に舌を巻いた。

 ◆1年目で 19歳になったばかりの14年6月、地元浜松での西武戦に救援で1軍デビュー。期待のほどがうかがえた。

 ◆強運 仮契約の際、浜松に本社を置く自動車大手スズキの鈴木修会長とばったり。「浜松のスズキ」は応援を約束された。

 ◆サイズなど 183センチ、74キロ。右投げ右打ち。両親と弟。血液型O。来季年俸450万円(推定)。

 ◆苦闘メモ 1年目から5試合に投げる順調なスタートを切り、2年目の15年には7月の巨人戦で初先発し、3回0/3で5安打3失点。飛躍を期した16年はフォームを崩し、初めて1軍登板なし。ウエスタン・リーグも3試合登板のみ。秋口にかけて調子を取り戻し、10月のフェニックス・リーグでは3試合10イニングで2失点と安定した成績を残した。