広島緒方監督は鈴木誠也外野手(23)に声を掛けた。「とにかくゆっくりでいい。来年に響かないように。しっかり治せ」。8月23日DeNA戦(横浜)の守備中にフェンス際の打球を好捕した際に右足首を負傷。「右足脛骨(けいこつ)内果骨折、三角靱帯(じんたい)損傷」と診断され、同29日に広島市内の病院で「骨接合術、靱帯(じんたい)修復術」を受けていた。指揮官が鈴木にそう語ったのには理由があった。

 「象の足って言われたな。それでもテーピングでがちがちにして試合に出たんやけど」

 98年6月12日の阪神戦。緒方は甲子園でフェンスに足首をぶつけて負傷。公称は「足首の捻挫」だったが、症状はもっと深刻だった。当時29歳。96年に50盗塁を決めるなど、3年連続盗塁王を獲得したスピードスターとしてその名を全国に広めていた。ライバルにポジションを渡すくらいならと、試合に出続けた。足は青黒く変色し、スパイクに足が入らないくらいパンパンに腫れた。隠れてワンサイズ大きいスパイクを履いていたほどだった。

 結果的にそのケガが緒方の野球人生を変えた。「走れんくなった」と視線を落とす。「アウトになると思ったことがなかった」と言う男が「スピードが出ない」と頭を抱えた。引退が頭をよぎることもあったという。だがそこで変わった。「打つしかなくなったんよ」。内野安打が狙えないならしっかりと振ることを求めた。下手だったタイミングの取り方を研究し、長距離を打てる打者に変身。99年には盗塁を18に減らしながらも36本塁打を放つなどモデルチェンジ。だが、一番の武器を失いジレンマを抱えたままだった。

 鈴木はまだ、若い。最大の武器のスピードを失ってほしくない。緒方監督が言葉をかけた意味はそこにある。「順調に育ってくれてるから。でも順調って、右肩上がりな人生なんてない。どっかで挫折はある。フルスイングが美学みたいな、三振か本塁打かみたいな4番打者になってほしいとは思わない」。じっくり治して、鈴木はまたグラウンドを駆け回るはず。ジレンマを抱えて野球をするのは、もっともっと先でいい。【広島担当 池本泰尚】