1980年代後半から90年代半ばにかけて近鉄の主砲として活躍したラルフ・ブライアント氏(58)が25日、京セラドーム大阪でのオリックス-日本ハム戦で始球式を行った。

現在は米アトランタ州で、庭師へと異色の転身を果たした同氏は、現役時代と同じ背番号16のユニホームを着てマウンドへ。年齢を感じさせないフォームからノーバウンドで投げ、打席に立ったオリックスのモヤは笑顔で見送った。大歓声に包まれ「とてもナーバスになったよ。でもボールが(ホームベースに)届くことが大事だからね」と白い歯を見せた。

その後、ブライアント氏は球場内のレストランで「ラルフ・ブライアント ファンミーティング」に参加。近鉄のユニホームと帽子姿で登場し、熱狂的な「ラルフ」コールで迎えられた。ファンからの質問コーナーでは、元ABCアナウンサー楠淳生氏の司会で爆笑トークを展開。

「仰木(彬)監督や中西(太)コーチから『いくら三振してもいい、ホームランを打ってほしくてお前を引っ張ったんや』と言ってもらってうれしかった。でも本当は、三振するたびにゴメンナサイと思っていたんだよ」と懐かしんだ。

また、大逆転優勝を飾る重要な転機となった、1989年(平元)10月12日の西武とのダブルヘッダーで放った4打数連続本塁打については「あのときは完全に燃えに燃えて、打ちたくて仕方ない状態になっていた」と心境を明かした。

メジャーで芽が出ず、日本でチャンスをつかんだと語られることが多いが、異例の? 反論。「いつもそう言われるけど、マイナー(2A)では年間31本塁打したこともあるんだよ」と苦笑まじりに語った。

今回の来日は、JRFPA(日本プロ野球外国人OB選手会)の招きによるもの。前日24日には旧川崎球場(現富士通スタジアム)でファンとの交流イベントにも参加した。そんなB砲の将来の夢は「また日本でコーチをしてみたいね」。オリックスで打撃コーチを務めた05年以来の日本復帰を、思い描いていた。