<中日3-1阪神>◇5日◇ナゴヤドーム

 中日が首位巨人に1ゲーム差と迫った。阪神戦で快勝。同点の7回1死一、二塁から立浪和義内野手(39)が右前打を放ち、勝ち越しのおぜん立て。長嶋茂雄巨人終身名誉監督(73)に並ぶ史上7位タイの2471安打目が、チームの勝利を呼び込んだ。この回に2点を勝ち越し、ナゴヤドーム10連勝。首位巨人が引き分けたため、その差を半歩詰めた。

 立浪が国民的英雄に並んだ。同点の7回1死一、二塁。代打で登場。阪神先発岩田の内角直球をライナーで右前に運んだ。通算2471本目。「ミスター・プロ野球」こと長嶋氏に並んだ瞬間だった。満塁から井端の右前適時打、荒木の内野ゴロで勝負あり。メモリアル安打が勝利に結びついた。

 「長嶋さんは国民的ヒーローですから。そういう方と並べたことは光栄です。ただ、本当に小さいころに現役を引退されているので。昔の映像では見たことがあるんですが…」と、記録のことを問われると複雑な表情になった。それもそのはず、1974年、5歳の誕生日を迎えた2カ月後、長嶋は「巨人軍は永久に不滅です」の名言とともに現役を引退した。「後でテレビで見たことはあったけど、あの時は覚えていない」。大阪・吹田市に暮らしていた少年が知らないうちに、プロ野球の1つの時代が終わっていた。

 1988年、PL学園からドラフト1位で中日に入団した。空いている中からひとケタの背番号を選ぶ権利を与えられた。高校時代の「6」は4番落合(現中日監督)のものだった。だから、立浪は用意された2つの番号から「3」を選んだ。「3番は好きな番号だったから。でも長嶋さんとの接点というのではない」と笑った。

 自身の中で「3」は長嶋の代名詞ではない。自分で選び、2000本以上のヒットを積み重ねて「ミスター・ドラゴンズ」と呼ばれるようになり、自分のものにした番号。自分もまた中日では1つの世代、1つのチームの象徴なのだ。

 試合後は記録よりチームの勝利に言葉を割いた。今季限りの現役引退を表明しているため、手の届くところにある優勝フラッグは他の選手より重い。「勝負どころで打てるとうれしい。残り50試合ですか。1打席、1打席、集中してあとひと仕事したい」と前を向いた。偉大な足跡を振り返るのは優勝の美酒に酔った後でいい。【鈴木忠平】

 [2009年8月6日9時25分

 紙面から]ソーシャルブックマーク