<日本ハム1-0オリックス>◇27日◇札幌ドーム

 頭脳的な「珍プレー」で傾きかけた流れが止まった。日本ハム稲葉篤紀外野手(37)がビックリ仰天の技をさく裂させた。1点リードの8回2死二塁。代打塩崎が痛烈なライナーの右前打を放つ。猛ダッシュで処理した稲葉が、そのまま一塁へ送球した。飯塚一塁塁審の右手が上がるとガッツポーズ。大ピンチを救う値千金の「ライトゴロ」が完成した。

 16年目のベテランもキツネにつままれた。「タマタマできたから良かったですけどね。プロに入って初めてじゃないかな」。打者走者の右ゴロを記録したのはヤクルト時代の99年以来11年ぶりも、記憶に残っていないほど。06年9月12日西武戦で一塁走者を二塁で仕留めての達成はあるが、日本ハム移籍後5年目で初のビッグプレーだった。「うちらしい勝ち方ができて良かった」と素直に喜んだ。

 試合前から「珍現象」の予兆はたっぷりだった。この日は打撃不振で、今季初めて中軸を外れた。日本ハム移籍1年目の05年以来、5年ぶりの先発7番で出場。0-0の5回1死三塁で、痛烈なライナーが二塁手・バイナムの正面を突く。ツイていない時は、こんなもの-。そう万事休した、と思った瞬間、まさかのトンネルだ。大きな先制点は、終わってみれば「決勝打」。チームも開幕からのカード初戦10連敗という、長いトンネルから抜けた。

 この日のシートノックは真喜志内野守備コーチが、チームの流れを変えるために不動だったノッカー役を辞退。清水外野守備走塁コーチが「代役」を務めた。験をかつぐなど必死な首脳陣から打順降格を打診され、受け入れた。どん底のチーム状況へ風穴をあけた稲葉は「まだまだこれからですよ」と戒めた。もっと重大な「珍現象」ともいえる最下位低迷の現状を変えるため最後は、いつも通りの謙虚な稲葉に変身していた。【高山通史】

 [2010年4月28日10時14分

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