<広島1-2横浜>◇28日◇マツダスタジアム

 必死の盗塁も勝利には届かなかった。広島天谷宗一郎外野手(26)が、横浜バッテリーを相手に3回の1イニング2盗塁を含む1試合4盗塁をマーク。89年の正田耕三以来、球団21年ぶりの快記録を達成したが、打線は多くのチャンスを逃し、得点は5回の1点止まり。6回2失点の先発斉藤悠葵投手(22)の好投を勝利に結びつけられず、横浜と並び再び5位タイに沈んだ。

 天谷は、思い切りよく塁を飛び出した。初回の二盗に続き、3回にも2死から四球で出ると、栗原の2球目に二塁を盗んだ。さらに栗原の四球で一、二塁となると、5番末永の2球目にも仕掛けた。栗原とのダブルスチールは、これもまた見事に成功。横浜の寺原-武山のバッテリーの警戒網を、鮮やかにかいくぐった。そして5回には、2死一塁から二盗、この試合4個目の盗塁を決めた。個人の1試合4盗塁は、広島では89年10月15日の中日戦で正田耕三が6盗塁して以来、チーム21年ぶりの快挙だった。

 バットでも見せた。2点を追う5回2死三塁に東出を置いて打席に入った天谷は、初球のストレートをピッチャー返しでセンター前へ運び、1点を返した。「初球から甘い球を狙っていました。東出さんがつくってくれたし、(好投していた)斉藤のためにも打ちたかった」とコメントした。

 思い切りのいいプレーが持ち味で、開幕から「3番センター」を任された。だが、オープン戦では好調だった打撃は、開幕後は低調。打率は1割台に沈み、10日の横浜戦(横浜)では本塁クロスプレーで右肩関節を脱臼。出場選手登録を抹消された。23日に再登録されたが、調子は上がらず、26日にはマツダスタジアムでの休日練習で、野村監督から身ぶり手ぶりの直接指導を受けていた。

 快記録を達成しても、チームは敗れた。天谷だけでなく、チームでも7盗塁をマーク。常に次の塁を奪う姿勢が徹底され、足は見せたが、得点圏に走者を送ってもあと1本が出ず、横浜と並び再び5位タイに落ち込んだ。

 天谷自身、8回2死二、三塁の逆転機に空振り三振を喫した。勝利を渇望するからこそ、試合後の天谷は無言でロッカーへ消えた。野村監督は「盗塁数で勝負が決まるわけじゃない。あれだけ盗塁して点が取れないのは珍しい」と今季ワーストの14残塁で敗れたことを悔しがった。【高垣誠】

 [2010年4月29日10時38分

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