<西武1-3中日>◇21日◇西武ドーム

 中日落合博満監督(56)が西武1回戦で通算500勝を達成した。右わき腹痛を抱えながら出場を続ける和田一浩外野手(37)がリーグトップとなる14号決勝2ランを放って、メモリアル勝利をプレゼントした。チームは連敗をストップして再び2位に浮上。監督としてプロ野球史上27人目、球団では2人目となる快挙の余韻に浸ることなく、優勝へ向かって歩み続ける。

 勝利の瞬間、落合監督はいつものように選手たちを握手で迎えた。就任から908試合、通算500勝を達成した。「忘れてた。チェンがボールを持ってきて思い出した。別段、大したことじゃない。長いことやっていればいくんじゃない」。記念球を受け取ると、オレ流節をさく裂させた。

 千葉での連敗を振り払い、西武のエース涌井攻略の突破口を開いたのは指揮官が全幅の信頼を置く男、和田だ。4回、涌井のスライダーをバックスクリーンへ。リーグトップに並ぶ14号2ラン。「節目の試合で打ててよかった」。中日にFA移籍後、古巣での初本塁打。チェンと涌井の投げ合いの中、普段より何倍も重い先制点をもぎとった。

 守備で右わき腹を痛めながら黙々と出場を続ける和田に、落合監督は自身の現役時代をだぶらせる。「オレも経験がある。痛みがとれるまで3カ月かかったけど、試合に出たよ」。プロはグラウンドで弱みを見せない。和田の痛みを知りながらDHで起用し続けた。指揮官と主砲の信頼関係が生んだ500勝目だった。

 6年間で優勝2回、日本一1回、すべてAクラス。常勝軍団を作り上げた指揮官が最も印象に残っている試合がある。「最初がなければ次はない。そういう意味でいえば04年の一番最初のゲームだろう」。04年4月2日広島戦(ナゴヤドーム)、監督としての初戦で3年間1軍登板のない川崎を開幕投手に起用した。しかも川崎が5失点でKOされた後に逆転勝ち。開幕3連勝で波に乗ると、リーグを制覇した。世間にオレ流ブームが巻き起こった。

 「まわりは奇襲とか言うけど、オレにそんなつもりはない。あの時のチームは3連敗しないことが大事だった。最悪を避けることを考えただけだ」。04年の1月3日、和歌山県にある落合記念館の別荘から川崎の携帯を鳴らし、開幕投手を告げた。エース川上を3戦目に起用することで3連敗のリスクを避け、川崎の起用でチームに刺激を与えるのが目的。世間はそれを“オレ流”と呼んだ。だが、本人は常に最悪を避ける危機管理をしてきたに過ぎない。大胆に見えるオレ流采配は、じつは徹底した危機管理に裏打ちされている。

 「節目じゃない。それがゴールだと言うならわかるけど、あくまでゴールは優勝だろ」。監督業に節目があるとすれば、それは優勝の瞬間だけ。世間から「オレ流」と呼ばれる指揮官は、きょうも優勝へ向かって歩み続ける。【鈴木忠平】

 [2010年5月22日10時40分

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