阪神渡辺長助チーフスコアラーが28日、遠征先の富山市内のホテルで急死した。54歳。死因は心筋梗塞。この日午前、ミーティングに現れず、球団関係者が部屋に向かったところ亡くなっていた。前夜はチーム関係者と午後9時過ぎまで食事をしていたが、兆候はなかったという。富山中央警察署は事件性はないと判断した。

 渡辺スコアラーは、78年ドラフト3位で阪神に入団。同年のドラフト1位は「空白の1日」で有名な江川卓だった。捕手としてプレーして、86年に引退。その後はバッテリーコーチなどを歴任して03年から現職についていた。星野、岡田、真弓と歴代監督と接し、優勝争いの常連となったチームの頭脳だった。データにコーチ陣が異論を唱えた際は年下のスコアラーの盾になったという。

 気骨がある一方で、普段は温厚だった。現役時代は「長助」と呼ばれた。裏方に入ってからも「チョーさん」の愛称で選手たちからも親しまれていた。

 渡辺スコアラーは血圧が高く、岡田阪神時代に体調を崩したことがあった。ただ仕事に穴をあけることをよしとせず、球団が強制的に休ませたほど仕事熱心だった。早すぎる死を迎えた渡辺スコアラーはこの日、富山市内に駆けつけた家族とともに関西に戻った。葬儀などの日程は未定。

 ◆渡辺長助(わたなべ・ちょうすけ)1956年(昭31)10月11日、熊本県八代市生まれ。八代一(現秀岳館)から、九州産交を経て、江川を1位指名した78年ドラフトの3位で阪神入団。捕手で82年に1軍初出場し、84年に自己最多の40試合に出場。通算3年で78試合に出場し、11安打、打率1割6分9厘、1本塁打。86年の引退後はスコアラー、バッテリーコーチなどを歴任。96年には独身寮「虎風荘」の寮長に就任。03年から阪神チーフスコアラーを務め、同年と05年のリーグ優勝を支えた。