<ロッテ6-4西武>◇22日◇QVCマリン

 ロッテのユウちゃんも持っていた!

 ドラフト2位左腕の中後悠平投手(22=近大)が1点を追う8回から登板。西村徳文監督(52)が「あそこは中後しかいない」という信頼感でチーム最多タイ8試合目のマウンドに送り出された。ボールの軌道からストライクになるスライダーで打者を退ける。1安打を許したが、1回無失点。その裏に味方打線が3得点で逆転し、プロ初勝利が転がり込んだ。

 中後

 中継ぎで、どこかで勝てるかなと思ったけど、まさかビハインドから逆転して勝つとは。(決勝打の)清田さんと(抑えの)薮田さんに感謝します。

 貴重な変則左腕として藤岡らと入団。当初は先発候補だったが、制球力と体力に欠け、オープン戦序盤は2軍降格の危機にあった。だがキャンプから西本投手コーチと制球力の向上に取り組んで、手薄だった中継ぎ陣に生き残った。

 同コーチから徹底的に言われた言葉がある。「ダーツを投げるときには、肘が顔から離れないだろう?

 顔の近くから肘を出すから的に当てられる。お前はダーツマンになるんだ」。キャッチボールに際しての約束も交わした。「投げた後に地面に突いた右足の爪先を動かすな」。右足がぶれなければ上半身も安定する。プロで戦える一定の制球を短期間で身につけた。

 初勝利をささげたい人がいた。入団後の昨年末にがんで亡くなった祖父の塩崎明(めい)さん。5歳のころからキャッチボールの相手をしてくれた。入団時に球団からプレゼントされたユニホームはひつぎの中に納めて誓った。「じいちゃんがいたからプロ野球選手になれた」。その思いはずっと忘れない。中後悠平という名前を白星とともに積み重ねていく。【広重竜太郎】

 ◆中後悠平(なかうしろ・ゆうへい)1989年(平元)9月17日、大阪府生まれ。小学5年で野球を始めた。和歌山・近大新宮高では2年春からベンチ入りし3年夏県8強。近大では2年の日米大学野球から3年連続で大学日本代表。リーグ戦通算19勝13敗。昨秋ドラフトで2位指名。182センチ、72キロ。左投げ左打ち。

 ▼ロッテ中後がプロ初勝利。チームでは藤岡も2勝しているが、ロッテの新人2人が4月までに勝利を挙げたのは50年(荒巻、上野、榎原、佐藤)52年(末吉、和田勇)56年(中西、小野)に次いで56年ぶり。