<楽天10-3オリックス>◇6日◇Kスタ宮城

 故郷に錦を飾った。楽天斎藤隆投手(43)が8年ぶりの日本球界復帰登板で勝利を挙げた。オリックス戦で同点の8回に登板。2死満塁のピンチを招いたが無失点で切り抜けた。打線はその裏、松井の満塁本塁打などで大量7点を奪い勝ち越した。日本での勝利は、横浜(現DeNA)時代の05年10月7日(中日戦)以来。生まれ育った仙台で勝つのは、旧宮城球場時代も含め初めてだった。チームに今季初の同一カード3連勝、星野監督には歴代単独10位となる通算1067勝目を贈った。

 「ピッチャー、斎藤」。名前がコールされると、一瞬で球場の空気が変わった。歓声と拍手。右ふくらはぎ痛で出遅れていた43歳の今季初登板は、3-3の8回だった。「普段どおり」と自ら言い聞かせ、最速146キロの直球とスライダー、カーブで、打者2人を簡単に打ち取った。

 だが、そこから力んだ。2四球と内野安打で満塁。「22年目の投手がやる投球じゃない。開幕は、いつもこう」。声をかけに来た松井に「すまん、稼頭央。どうやっても力が抜けない」と打ち明けた。松井の笑った顔を見て少し落ち着いた。伊藤を右飛に仕留め、何とか無失点で切り抜けた。

 迫る思いは、お立ち台を下りても続いた。「高校から知るファンはじーんと来たのでは」と言われた時だ。目が真っ赤になった。「それ、弱いです」。記憶が一気によみがえった。実家はKスタ宮城から車で10分ほど。少年時代、自転車で旧宮城球場へロッテ戦を見に通った。東北高、東北福祉大と、地元仙台で腕を磨き、プロへの道を開いた。

 横浜(現DeNA)で地位を築いた。日本一も味わった。だが、ベテランの域に入り疑問が起こった。「野球をやれる時間は限られている。このままでいいんだろうか」。36歳で海を渡り、マイナー契約から挑戦した。考えが変わった。選手寿命が迫る中、「野球をやめた自分」ではなく、「今、野球をやっている自分」を考えるようになった。

 斎藤

 野球があって良かった。野球に感謝しよう。野球人としての斎藤隆でいることの幸せ。そんなことを大切にしようという思いが、この数年強くなった。

 なぜ、そう思うようになったかは分からない。ただ「いろんな方に出会い、お世話になった。間接的に誰かを蹴落としても来た」と振り返る。だからこそ「野球への思いを成就させたい。ボロボロになるまで」と、考えるようになった。

 8年ぶりに国内で勝ち星を挙げた。「みんなが勝ち投手に持ち上げてくれた」と感謝した。日米通算132セーブ右腕の加入は、救援陣に厚みを増す。お立ち台で言った。「みなさんとシーズン最後に喜べるように。1球1球、力を込めて投げたい」。復帰先に選んだ故郷で、最高のスタートを切った。【古川真弥】