西武田辺徳雄監督代行(48)が5日、“伊原流”を一新し荒波に船出した。前日4日に成績不振を理由に無期限休養に入った伊原春樹監督(65)に代わり、最下位からの巻き返しを託された。2軍の首脳陣、選手へのあいさつを済ませ、球団フロントと会談。ユニホームのズボンの裾を上げることや、茶髪、ひげを禁止した伊原イズムを「きつく縛りはかけない」と見直す方針を明かした。今日6日の巨人戦(東京ドーム)から指揮を執る。

 規制緩和が初仕事だった。電撃就任から一夜明け、球団事務所を訪れた田辺監督代行は、落ち着いた表情で“新体制”の方針を打ち出した。「選手には気持ちよくプレーしてもらいたい」の大前提のもと、「きつく縛りはかけない。容認の方向で考えている」と、伊原体制下での厳しいルールを改正する意向を示した。

 伊原監督は、茶髪、ひげを禁止し、ユニホームのズボン裾の長さを規制した。「スパイクが見える長さ」が限度だったズボンの裾については選手から改善を望む声が強く、田辺監督代行は「昨日、選手から相談があった。それだけフラストレーションがたまっているんであれば、こちらも考えなければいけない」。強制的に押さえつけるのではなく、選手の意見を柔軟な姿勢で聞き入れていくことを明言した。

 さらに、巻き返しに向けた打開策として、一致団結の重要性を強調した。この日は、真っ先に2軍首脳陣とミーティングを行い「フラットに風通しよくやっていこう、という話をした」と、スタッフ間の協力態勢を確認。2軍の練習前には選手を集め「こういう状況だから、しっかりと連携を取ってやっていこう」と、1、2軍の入れ替えを活性化させることを約束した上で、育成を合わせ全70選手でのチーム一丸を呼びかけた。

 今日6日は、現役最終年に所属した巨人戦で初采配を振る。慌ただしく急ピッチで準備を進めたが、「試合は待ってくれない。待ったなしなんで」と腹は決まった。最後に采配のスタイルを問われると、「状況によって変わってくるけど、現役時代に戦ってきたことと、指導者として経験したことを加味してやっていきたい。西武ライオンズの流れをくみたい」ときっぱり。威厳よりも対話、管理よりも容認を重んじる「田辺ライオンズ」が束になって残り91試合、逆襲に出る。【為田聡史】

 ◆田辺徳雄(たなべ・のりお)1966年(昭41)5月11日生まれ。山梨県出身。吉田高では2年夏に甲子園出場。84年ドラフト2位で西武入団。89年から遊撃の定位置獲得。89、92年ベストナイン、ゴールデングラブ賞。10度のリーグ優勝、5度の日本一に貢献し、00年巨人に移籍し「路朗」に改名。同年引退。評論家を経て02年2軍打撃コーチで西武復帰。07年2軍野手総合、08年2軍守備走塁、09年2軍打撃コーチ。10年は編成部プロ担当から2軍打撃コーチ。13年から1軍打撃コーチ。178センチ、76キロ。右投げ右打ち。