<巨人4-3西武>◇6日◇東京ドーム

 おじいちゃん、ありがとう-。巨人菅野智之投手(24)が、涙を流しながら、大好きな祖父への感謝と飛躍を誓った。5月29日に心不全のため亡くなった原貢氏(享年79)の葬儀が6日、近親者のみで営まれた。参列後の西武戦では魂のこもった投球で8回を3失点。野球と出会って、今があるのは貢氏の存在があったから。厳しく、そして優しく接してくれた祖父へ、快投を届け続ける。

 涙があふれ出た。瞳の奥には大好きなおじいちゃんの姿が浮かんだ。試合後、菅野は抑え込んだ感情を初めて吐き出した。「つらかった。試合が終われば必ずお見舞いに行って。ウイニングボールを届けることが、今、自分にできることだと。結果的に2球しか届けることが…」。一瞬、言葉が続かなかったが、歯を食いしばって、「きっと天国から見守ってくれる」と言った。

 野球と出会ったのは、祖父とのキャッチボールだった。顔面にボールが当たって泣いたが、貢氏が自宅にピッチャー板を埋めこんでくれ、毎日投げた。悪ければ叱られ、良ければ褒められた。「自分のじいちゃんが怖いとか、厳しいという感覚を持っている人は少ないと思う。でも、自分はそれが当たり前と思って、生きてきた。相当な覚悟があって、育ててくれた」。感謝しかなかった。

 あの日、祖父の言葉が無ければ、「野球人菅野」はいなかった。高校1年の夏、右肩を痛め、野球を続けるか迷った。家族会議が開かれた。厳しかった祖父は優しく言った。

 貢氏

 野球なんてやめたかったら、やめてもいいんだぞ。ラグビーだって、バスケットだって、あるじゃないか。

 硬式のクラブチーム出身者が占める中、中学の軟式野球部から強豪の東海大相模に入学。「原監督のおい」と指をさされ、ケガも重なったボロボロの心を、祖父の一言が救ってくれた。そんな祖父を愛情を込めてこう呼ぶ。「おーちゃん」。原家の「親分」が由来だという。

 開幕の2日前、うなぎを食べながら、貢氏から背中を押された。「もう、言うことはないぞ。ケガに気をつけて頑張れ」。元気な姿を見たのは4月29日のヤクルト戦だった。ベンチ前のキャッチボール中、スタンドから迫力ある声が耳に届いた。「智之、頑張れ!」。午前中の葬儀で別れを告げ、マウンドに立った。「いろんなことを思い出しながら投げた」。8回3失点。天に向かって、何度も拳を握って、雄たけびを上げた。【久保賢吾】

 ◆菅野の今季登板と原貢氏

 貢氏は5月4日夕、心筋梗塞(こうそく)と大動脈解離を併発し、神奈川県内の病院に入院。菅野は翌5日の中日戦(ナゴヤドーム)で先発し、7回2失点で6勝目。原氏は29日夜に死去し、31日に球団が発表。菅野は同日のオリックス戦(京セラドーム大阪)に先発し、金子との投げ合いで7回無失点と好投した。