<阪神10-5ヤクルト>◇29日◇甲子園

 ミスター・リスタートと呼ぼう。自力Vの可能性が消えて戻ってきた28日ぶりの甲子園でエースがやっぱり笑った。阪神能見篤史投手(35)が7回で8安打されながら2失点。盟友狩野の活躍による大量援護をバックに、7勝目をつかみ取った。実は長期ロード明けの甲子園ゲームでは4戦3勝と強い左腕。能見の白星から、虎のラストスパートは始まる。

 鉄仮面の奥に、能見は熱い思いを忍ばせていた。3回の攻撃だった。次のイニングに控えてキャッチボールを行いながら、3学年下で盟友、狩野の本塁打を見た。表情が少しだけ、ほぐれた。うれしそうにハイタッチの輪に加わる。いつも以上に、負けるわけにはいかなくなった。

 「狩野が打ってくれたのはうれしかったですね。僕としても特別なものがあります。あそこで打つのは大したもんですよ」

 苦楽を共にしてきた。能見が自己最多の13勝を挙げブレークした09年。先発した25試合中、24試合で狩野のリードに導かれた。崖っぷちからのGキラー誕生がその象徴だ。09年7月19日の東京ドーム。3勝7敗で迎え、後がない状況だった。一時は中継ぎにも回された左腕だったが、大胆なリードに導かれ9回2安打無失点。そこから11年途中まで巨人戦8連勝。一気にスターダムを歩んだ。

 08年から10年までは共に自主トレも行うほど、公私ともに仲が良い。狩野の故障なども重なり、共にプレーする時間は減った。狩野は一時、育成契約にまでなった。だが能見だけは信じていた。「ちょくちょくするよ」と恥ずかしそうに明かしたメールを通して、励まし合っていた。

 絶好調ではなかった。毎回走者を背負った。それでも7回8安打2失点でまとめた。低めのチェンジアップ、スライダーに、直球の緩急で打ち取った。6回1死一塁では、比屋根を116キロで遊ゴロ併殺。この日3つめの併殺打で、ピンチを事前に防いだ。

 「3つもとれることも、なかなかない。調子はあんまりよくはないよ。うまく緩急を使いながらね」

 捕手と投手から、右翼と投手に変わった。だが、お互いを思う気持ちは変わらない。この1勝で、能見は外れていた巨人戦に再び向かう可能性も浮上した。09年から始まった「Gキラー物語」の再現もある。2人で挙げた7勝目は、チームを変える白星になるはずだ。【池本泰尚】