浪商(大阪、現大体大浪商)、南海、ダイエーで活躍し「ドカベン」の愛称で親しまれた香川伸行(かがわ・のぶゆき)氏が26日午後、心筋梗塞のため福岡県朝倉市の甘木中央病院で急死した。52歳。徳島県出身。葬儀等の日程は未定。同県朝倉郡の自宅で倒れているところを家族が発見。救急搬送されたが帰らぬ人となった。

 「ドカベン」が早すぎるゲームセットを迎えた。香川氏が福岡県朝倉郡の自宅で眠るように倒れているのを2人の娘が見つけたのは、午後4時ごろ。弘美夫人(52)が救急車を呼び、朝倉市内の病院に運ばれたが、午後7時過ぎ、心筋梗塞のため帰らぬ人となった。弘美夫人は「突然のことで…」と言葉を詰まらせた。

 香川氏は3年前から受けている人工透析治療をこの日も受け、自宅に戻っていた。野球をやめた後、腎不全などを患っていた。家族によれば昨年1月にも1度、心筋梗塞で倒れていた。その際は回復していたが、医師に「次、倒れたら危ないかも」と告げられていたという。

 高校野球、プロ野球で活躍し、野球ファンから愛されたヒーローだった。大阪の名門浪商では牛島和彦(元横浜監督)とのバッテリーで3年春の甲子園(79年センバツ)で準優勝。夏の甲子園では3試合連続本塁打。太めの体形で強打の捕手だったことから、野球漫画の主人公にちなみ「ドカベン」のニックネームが当時から定着した。

 79年ドラフト2位で南海入団。1年目の80年7月8日近鉄戦(日生)で、プロ初打席初本塁打。83年には夏場まで打率1位に立つなど急成長し、球宴初出場。最終的には規定打席不足ながら、3割1分3厘をマークしベストナインにも選ばれた。チームが福岡に移転した89年を最後に引退。野球評論家のほか、実業家としても活動していた。

 北九州市から病院に駆けつけた長男英斗さん(26)は遺体と対面し「いつものような顔で死んでいるようには思えない。生きているような顔でした」と話した。香川氏は毎年秋、関係者を招待してチャリティーゴルフを佐賀で開催していた。今年が20回目となる予定で、英斗さんに「今年で最後にする。来年からはお前がやれ」とバトンを渡す予定だった。あまりにも早い別れだった。

 ◆香川伸行(かがわ・のぶゆき)1961年(昭36)12月19日、徳島県生まれ。浪商から79年ドラフト2位で南海入団。捕手だけでなく86年には三塁手としても21試合に出場。89年に引退した。現役通算714試合、460安打、270打点、78本塁打、打率2割5分5厘。現役時代は170センチ、100キロ。右投げ右打ち。