今年のプロ野球ドラフト会議で中日から1位指名を受けた野村亮介投手(21=三菱日立パワーシステムズ横浜)が25日、母校の静清高を表敬訪問した。同校からのプロ野球選手は5人目となり、酒沢政明校長(65)から「後輩のためにも頑張ってほしい」とエールを送られた。ドラフト後は取材など多忙な毎日を送り、やや練習不足だという。年末年始は静岡市内の実家で英気を養い、年明けの合同自主トレに備える。

 ドラフト1位の肩書をひっさげて、野村が母校に凱旋(がいせん)した。酒沢校長をはじめ、教職員から歓迎を受けると、野村はやや照れくさそうな表情を見せた。それでも、酒沢校長から「プロ意識をしっかり持って、後輩のためにも、多くのファンから応援される選手を目指して、頑張ってください」と声をかけられると、「これからは今まで以上にしっかりやっていきます」と答えた。

 野村が母校に到着した際、グラウンドでは野球部が練習を行っていた。野村は「社会人になってからは、声を張ることも少なくなった。懐かしく感じた」としみじみと話した。

 中日からの1位指名後、さまざまな媒体の取材や関連行事などに追われ、ほとんど練習ができていないという。11月7日からは侍ジャパン21U代表として、21UW杯(台湾)に参加した。抑え投手として登板し、準優勝に貢献した。決勝戦のチャイニーズタイペイ戦では2失点を喫したものの、それまで3イニングを投げ、4三振を奪い、被安打1の好投を見せた。「(日本代表は)今まで背負ってきたものと規模や重みがまったく違いました」と振り返る。さらに、20年東京五輪では野球復活の機運が上がっており、野村は「上のレベルを目指したい。もちろん(五輪代表を)狙っていきたい」と強い意欲を示した。

 年末年始は静岡市内の実家でゆっくり過ごす予定だ。とはいえ、入寮は来年1月9日に迫っているため、ランニングなどで体を動かし、入寮翌日から始まる中日の新人合同自主トレに備えるという。「先発で1年目から2桁勝利を目指したい。いずれは20勝近く上げられる、中日のエースと言われる選手になりたいです」。野村は中日のエース番号「20」に恥じない活躍を誓った。【大野祥一】

 ◆野村亮介(のむら・りょうすけ)1993年(平5)7月9日、静岡市生まれ。小1から飯田リトルジャイアンツで野球を始める。清水飯田中3年の時に全国中学総体出場。静清で11年センバツに出場。1回戦京都成章、2回戦日大三戦でいずれも3失点完投。夏は優勝候補も県大会準々決勝で常葉学園菊川にサヨナラ負け。三菱日立パワーシステムズ横浜では1年目から登板。今年の都市対抗出場に導き、3回戦進出。家族は両親、兄2人。187センチ、85キロ。右投げ右打ち。血液型A。