<プロ野球ドラフト会議>◇23日

 京大初のプロ野球選手が誕生する。149キロ右腕の田中英祐(4年=白陵)が、ロッテから2位で指名された。京大吉田キャンパスで会見し「これで新たな1歩を踏み出せる」と笑顔。12年の医学・生理学賞の山中伸弥京大教授(52)ら数々のノーベル賞受賞者を生んだ最高学府では1898年(明31)の野球部創部から117年目の快挙になる。工学部で勉学に励んできた22歳が一流商社の内定を辞退し、プロの世界に飛び込む。

 京大の合格発表よりもドキドキした。田中は、午後5時のドラフト会議開始から1時間1分で名前を呼ばれた。「すごくほっとしています。ドラフトの5分前からすごく緊張した。本当に指名があるだろうかと。京大の(合格発表の)時は一瞬確認するだけ。待つ時間が長くて疲れました」。

 ロッテから2位指名。同席した宝馨監督(57)は「まさか2位とは思わなかった」と仰天した。田中も「すごく高い評価で感謝しています。伊東監督は捕手としてインサイドワークなどで活躍された。そういう監督のもとでレベルを上げたい」と意気込んだ。

 会見場は、同大のノーベル賞候補が受賞会見で準備するホールだった。そんな「ノーベル賞の間」で晴れ舞台を迎えて「ノーベル賞はすごい賞。僕はそこに並べられるようなものじゃないけど、新たな道で頑張っていきたい」と恐縮した。

 文武両道のスーパー学生。しかし野球は無名の存在だった。「中学の時点で、進学校に入った。練習時間はなくて、プロの夢はなくなっていった。高校も強くなくて」。しかし京大で急成長し、8月に阪神2軍と対戦してプロ入りの決断をした。すでに三井物産から内定をもらっていたが、会社側からドラフトの結果が出るまで猶予をもらっていた。田中は「この時期まで迷う僕に、選択肢を残してくれた。ありがとうございますと言いたいです」。

 いわゆるプロ野球選手が歩む道をほぼ経験していない。対戦したい選手を聞かれて「全然考えてなくて…」と戸惑った。同世代の選手ともほとんど接点がない。「僕がこれから成功すれば、いろんな人の励みになる。使命感、責任感を持ってやりたい。プロでどれくらい自分が通用するか、見極めたい。プロで長く活躍できる選手になりたい」。卒論テーマを聞かれて、立て板に水の口調で説明したが、これからは白球が商売道具。白衣を脱いで、マウンド一筋にかける。【益田一弘】<田中英祐(たなか・えいすけ)アラカルト>

 ◆生まれ

 1992年(平4)4月2日、兵庫県高砂市。

 ◆球歴

 米田西小4年から「塩市少年野球団」で野球を始め、三塁手、捕手、外野手。白陵中から投手に転向した。白陵では1年秋からエース。2年夏は兵庫大会3回戦に進出。

 ◆京大では

 現役で入学。1年春から関西学生野球リーグ戦に登板。全8季で65試合、350回1/3イニングを投げ、京大史上最多8勝(31敗)をマーク。4年間で防御率2・25を残した。全8季を通じて登板し、文武両道を貫いたことで、今秋リーグ戦閉会式で連盟から特別功労賞を贈られた。

 ◆研究室に感謝

 工学部4年生は午前10時から午後5時まで研究室にいる必要がある。午後3時からの練習にいけるように願い出て、教授からの了承を得た。「理解していただいたので、野球を続けられた」。

 ◆サイズ

 180センチ、75キロ。右投げ右打ち。