<吉田秀彦引退興行:ASTRA>◇25日◇東京・日本武道館◇観衆1万2093人

 プロ柔道家・吉田秀彦(40=吉田道場)がラストファイトで完全燃焼した。一番弟子の中村和裕(31=同)との同門対決。柔道着で中村と向き合うと、相手の望む打撃戦に応じた。3回には柔道着を脱ぎ捨てて殴り合った。スタミナ切れの終盤に2度、腕ひしぎ逆十字固めを仕掛けられたが、師匠の意地をみせて最後まで耐え抜いた。0-3の判定負けながらも、両拳で「魂」を伝承。両親の花束贈呈にリング上で初めて涙を流した吉田は、柔道界復帰を宣言し、8年間の総合格闘技人生に別れを告げた。

 あふれ出る感情は抑えられなかった。引退セレモニーでリングにいた吉田は、父延行さん(67)、母みちゑさん(65)の姿を確認すると目を潤ませた。頭を振って我慢したが涙は止まらない。「絶対に泣かないと思っていましたが、両親の顔を見たら出てしまった」。14歳で柔道私塾「講道学舎」入門後、何ひとつ相談せずに常に1人で進路を決めてきた。わがままを1度も反対せずに尊重してくれた両親。腫れ上がるほおに流れた涙は感謝の表れだった。

 柔道の聖地・日本武道館での引退戦は、柔道着で戦った。中村が打撃戦を望むと分かると応じた。2回途中、自らの右ほおをたたき「殴ってこい」と挑発。3回は柔道着を脱ぎ捨て、殴り合った。終盤に2度も腕ひしぎ逆十字固めを決められそうになった。スタミナ切れで体力は限界。残った気力と意地で、右腕を死守した。0-3の判定負けだったが「腹いっぱいやりました」と声を震わせた。

 02年8月の総合格闘技デビューから引退まで19戦。「全部が思い出深い試合。ヴァンダレイ(・シウバ)とやったとき、プロの試合を教えてもらった」とPRIDEで名勝負を繰り広げた好敵手に感謝の気持ちを示した。04年6月にK-1王者ハントに左肩を破壊されても、なおリングに上がり続けた。それだけに「(07年に)PRIDEがなくなった時」が一番つらかったと感慨深げに語った。

 最後の花道で、吉田は総合格闘技用の柔道着を脱いだ。「今日のことをかみしめながら柔道界に戻ります」と宣言し、純白の柔道着を身にまとった。1年後、指導者で全日本柔道連盟に再登録し、実業団を指導する意向。3年後は現役復帰する気持ちが強い。引退興行名ASTRAが格闘技興行として継続された場合、同興行の強化本部長やGMに就任する可能性が高い。格闘技の仕事と柔道の両立は、現行規則では難しいが「格闘技に入った時、柔道界に戻れなかった。今は1年で戻れる。プロリングは職業。職業選択の自由はある。壁を少しずつ変え、自分にできることはやりたい」と強気だ。総合格闘技は引退したが、柔道着は脱がない。吉田の新たな柔道人生が始まる。【藤中栄二】