60年代から70年代にかけて「東映スケバン映画」を支えた内藤誠監督(74)が、24年ぶりにメガホンを取り、新作「明日泣く」を撮影したことが7月31日、分かった。同監督は86年3月公開の「スタア」撮影後、日大芸術学部大学院講師に就任。後進を育成しながら翻訳業や文筆業を続けていたが、73年の映画「番格ロック」などが再評価され、リバイバル公演が相次いだことを受け復帰を決意した。「明日泣く」は来年3月に公開予定だ。

 モニターをのぞき、役者のしぐさを見詰めるたびに笑みがこぼれた。「はい、じゃあいきましょう!」。喜々とした内藤監督は「これで人生終わりか、もう撮れないなぁ…と思って24年たったけど、映画が好きだからしんどくないですよ」と言いまた笑った。

 59年に映画界に入った内藤監督は、映画全盛で2本立て興行が主流の中、メーンの映画と同時上映する低予算映画の脚本を書き自ら監督していた。アナーキーかつ奇想天外な作風で人気を集めたが、80年代に入りスポンサーが減り低予算化に拍車がかかる中、疲れを感じて現場を離れた。しかし、映画作りへの情熱は失っていなかった。日大芸術学部で教壇に立ち、ムービーカメラに触れていたのは、「いつかまた新作を撮れる日が来たら」という思いがあったからだ。

 約5年前から過去の作品が30代の若い映画評論家に注目され始め、各地のレイトショー公開で大盛況が続いたと聞き、意欲がわいていた。そして昨年1月、同監督に映画製作の指導を受けた伊藤彰彦プロデューサーから打診を受け、復帰を決めた。作家色川武大氏が原作のジャズと男と女を描いた人間ドラマ。「60年代の日本を舞台に音楽の映画を撮りたい」と思い続けていた内藤監督にとっては、願ってもない企画だった。

 「内藤監督復帰」にあたり、「不良番長」シリーズで主演した梅宮辰夫も友情出演を快諾し、撮影は7月21日から8日間、朝7時から夜9時まで行われた。「学校の先生や翻訳やってる方が楽だし、収入もいい…なんて自分を慰めてみたけど、70歳過ぎても撮れるなら絶対撮るべきだよ」と内藤監督。言葉に新人監督のような熱気がこもっていた。【村上幸将】