年末の「ニューイヤーズ・ワールド・ロックフェスティバル」を前にロックンローラー内田裕也(76)にインタビューする機会があった。

 このイベントも今年で43回を数える。矢沢永吉(66)のいたキャロルに始まり、毎年そうそうたるメンバーが集う。今年は中学時代からバンド活動をしていたという歌舞伎の中村獅童(43)も参加する。

 映画界にも、監督、脚本、製作、出演…いろんな立場から「十階のモスキート」(83年)「コミック雑誌なんかいらない!」(86年)など、個性的な作品を残している。あらためてプロデュース力、キャスティング力に感心させられる。この人には持って生まれた磁力のようなものが備わっているのではないか。話の断片からそんな印象を持った。

 小泉純一郎元首相(73)には3年前、都内のすし店で遭遇した。

 「その日は割と早い時間にカウンターで熱燗飲んでいたんだけど、気付いたら隣の隣が小泉純一郎だよ」

 第2次小泉政権の04、05年、日中、日韓関係が緊張したその時期に、内田は対立を和らげるように「ニューイヤー」の開催地を上海、ソウルに広げている。いろんな意味で対極にいる2人。和気あいあいとは行きそうにない。そんな空気を察したかように突然、元首相が立ち上がった。

 「裕也さん! 相変わらず元気そうですね。私はあなたに似ているっていわれるんだよ」

 内田はとっさに顔と頭を指さしながら「似ているのはこっち(ルックス)か、こっち(考え方)か。どっちかはっきりしてくれ」と返した。

 言葉に詰まった元首相は「それはまた今度お会いしたときに」とその場を去ったという。

 「本当はどっちの意味で言ったんだろうな」。インタビュー中も内田は考えるような表情になる。「考え方は真逆なんだから、ルックスの方じゃないですか」と、水を向けると「たぶん、(俳優の)息子(孝太郎)が『オヤジは内田裕也に似てる』って言ったんだろうな」とまんざらでもなさそうだった。

 国内はもちろん、故ジョン・レノン、ローリング・ストーンズ…。伝説のミュージシャンから若手まで幅広い交友でも知られる。ストーンズのグアム公演など、国際的なイベントも実現してきた。

 「付き合いが広がったのはザッパと意気投合したことが大きいね。『あのザッパの友人』となれば、他の連中との話は早い」

 93年に52歳で亡くなるまで、米国の抱える問題点を指摘し続けた反骨のミュージシャン、フランク・ザッパのことだ。一般的な知名度より、周囲のミュージシャンのリスペクトを集めることで存在感を遺した人だ。米ローリング・ストーン誌の11年版で「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」の22位にランクインしている。

 「クレイジーな人だけど、おれもそうだから話が合ったんだね。日本公演をやったときもギャラのことはいっさい言わなかった。気持ちさえ通じれば『やろう!』という人だった」

 国際的な人脈は語学力のたまものでもある。たびたびニューヨークの自宅を訪れたレノンやザッパはもちろん、ミック・ジャガーら名だたるミュージシャンと直に渡り合った。

 語学力が知れ渡っていたからだろう。83年に出演した映画「戦場のメリークリスマス」では大島渚監督にむちゃ振りされた。デビット・ボウイふんする捕虜の英軍少佐に、内田演じる拘禁所長が「死刑」を宣告する場面だ。

 「台本には日本語で書いてあったんだけど、本番になって突然大島さんが『裕也さん、ここは英語で言いましょう』って言い始めたんだよね。普通の会話じゃないよ。死刑を言い渡すところなんだからさあ、それもデビット・ボウイにだよ。さすがに『30分ください』って言って、(英国人)スタッフと相談しながらセリフにした。まあ、監督ってのはたいてい意地悪だからね」

 元首相、伝説のミュージシャン、映画界の巨匠…臆するところがない。言うべきことをいい、立てるところは立てる。フットワークが良すぎて、時として軽く見られることがあるかもしれないが、決して目線はぶれていない。「大きい」人なのだ。

【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)