歌人、劇作家…マルチな活動で知られた寺山修司(享年47)が残した長編小説「あゝ、荒野」は東京五輪の翌々年に当たる66年を舞台にしている。

 祭りの後の新宿。行き場のない若者が行き場のないエネルギーをボクシングで燃焼する。どうしようもない孤独から、熱い心がたぎり出るような作品だ。

 半世紀を経た映画化では、今度の東京五輪後の2021年に舞台を移している。うわべは洗練されても、内実はそれほど変わらない。寺山原作の登場人物たちが熱い心をそのままに現代のいびつな孤独をあぶり出し、気持ちいいほどぶつかり合う。

 公開中の前編に続き、21日からは後編が公開される。トータル5時間5分があっという間の疾走感のある作品に仕上がっている。

 ボクシング好きの寺山は41歳のときに映画「ボクサー」(菅原文太主演)を監督しているし、テレビアニメ「あしたのジョー」の主題歌も作詞している。この作品は、この「-ジョー」と重なるところも少なくない。うらぶれたボクシングジム、隻眼のジム会長…。原作の劇画チックな設定をしっかり生かし、岸善幸監督の描く登場人物の輪郭はくっきりしている。

 父親が自殺、母親に捨てられた新次(菅田将暉)は振り込め詐欺に手を染める。仲間の祐二(山田裕貴)のだまし討ちに遭い、3年間を少年院で過ごして出てきたところだ。

 韓国人の母親が幼いうちに亡くなり、元自衛官の父親(モロ師岡)の暴力に支配されてきた健二(ヤン・イクチュン)は吃音(きつおん)障害に悩まされている。

 新次と健二は運命に導かれるように同じジムの門をたたく。新次は自分が少年院にいた間にスター・ボクサーとなった祐二に報復するため、健二は自分の弱さを克服するため。目的や性格は正反対でも、2人は兄弟のような友情に結ばれていく。

 映画は新次VS祐二、そして新次VS健二の試合を2つのヤマ場に構成されている。体はもちろん、心もかさつくような減量、当たり所が死に直結するリングの上…生死の境目に近いボクシングというスポーツが生々しく描かれ、その間の人間模様にも生と死を隣り合わせにしたすごみのようなものがある。

 菅田の体作りに感心する。スルッとした無駄の無い筋肉、軽やかな動き。まさにボクサータイプの体に見える。そして、心の奥から絞り出すような叫び。「憎しみの強い方が勝つ」「殺してやる」。ダイレクトなセリフを繰り出すときの表情を失った目は怖いくらいだ。ドラマ「35歳の高校生」(13年)の頃から見てきたが、これほどとがった姿は始めてだ。

 「息もできない」(09年)の監督・主演で注目されたイクチュンの体は対照的にファイタータイプ。盛り上がった肩から繰り出すパンチは重そうだ。2人は撮影半年前に顔合わせし、日韓に離れながら、競い合うように体作りをしたという。

 そして、もう1人のボクサー役、山田裕貴の悪意と善意を交互に映す目の演技も素晴らしい。

 血みどろのファイト場面に加え、この映画はあらゆる描写を逃げないところがいい。木下あかり、今野杏南、河井青葉の女優陣が体当たりしたラブシーンも作品を貫く生と死をしっかりと映し出す。避妊具の描写までリアルで、この辺も叙情に流さない。

 特に菅田と木下のぬれ場はその時々の2人の思いが織り込まれ、物語にしっかりリンクしている。暴力的で、せつなくて、美しい。

 空回りする社会運動、テロ…随所に登場する社会背景は、20年の五輪後に抱くぼんやりとした不安を映し出し、嫌になるほど身につまされる。【相原斎】