映画の始まりは1858年。後の初代イタリア国王となるエマヌエーレ2世が教皇領を制圧した年だ。つまり、時のローマ法王ピウス9世は追い詰められた状態にあり、その権威の証しのためにあえて起こしたのがエドガルド・モルターラ誘拐事件だという。

「エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命」(4月26日公開)はこの事件にスポットを当て、誘拐当時7歳だった少年の想像を超えた半生を描いている。洗脳、父母の思い、ストックホルム症候群…2世紀前のこの実話には、現代に通じることが少なくない。

ローマから北へ約300キロの街ボローニャの裕福なユダヤ人家庭で育ったエドガルドは、ある日突然現れた教皇直属の兵士によって連れ去られてしまう。

生後間もない彼に何者かが秘密裏に洗礼を授けていたというのだ。「受洗者は永遠にカトリック教徒」という教皇ピウス2世の厳命によってエドガルドは、ユダヤ教徒の親族から引き離され、ローマでカトリック教育を受けることになる。

彼の親族は、欧州に広がるユダヤ人ネットワークを通じて絶対原理の名を借りた誘拐を告発するが、この政治的な動きにピウス2世はますますかたくなになる。イタリアの人気テレビシリーズでベルルスコーニ元首相役を演じたこともあるパオロ・ピエロボンが、周りの荘厳な調度品とは対照的に人間くさく演じている。

誰が何のために洗礼を授けたのかという謎解きも興味をそそる一方で、面会を求める両親の必死な思いが伝わってくる。

宗教は違えど、「まっとうな教育」を受ける息子にどこかホッとする父(ファウスト・ルッソ・アレジ)と、教会への憎しみを募らせる母(バルバラ・ロンキ)のコントラストもさもありなんと描かれる。父との面会では振り向きもしなかった少年が、母には抱きつき、「帰りたい」と本音を漏らすシーンが母性の強さを改めて印象づける。

数々の国際映画賞を得てきたマルコ・ベロッキオ監督は、歴史的背景の描写をふんだんに織り込み、エドガルド(少年期エネア・サラ、青年期レオナルド・マルテーゼ)の成人までをしっかりと描いていく。

ピウス9世に対するエドガルドの微妙な思いを映す、時々のエピソードも効果的だ。中盤以降は詳述をさけるが、宗教の功罪を改めて考えさせられる。【相原斎】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「映画な生活」)