「引きこもり」は悪くない。東北ゆかりのスターたちに生い立ちやターニングポイントを聞く「わたしのツクリカタ」第2弾は、宮城出身のお笑いコンビ・サンドウィッチマンを3回にわたってお届けします。1回目は富沢たけし(41)の登場。両親が共働きで、家に1人でいることが多かった富沢少年は、4コマ漫画をはじめ、絵を描くことでネタづくりのセンスを身につけました。

 子供のころから絵を描いたり、マンガを描いたりするのが好きでしたね。よく読んでいたのはキン肉マンとか北斗の拳とか、(少年)ジャンプものですね。一時、真剣に漫画家になりたかった時期もありました。でも、普通のマンガって長いじゃないですか。描いてて途中でいやになっちゃう(笑い)。好きだけど仕事にしたらおれには合わないだろうなと。

 だから、4コマ漫画を描くようになったんです。かりあげクンとか、劇烈バカとかよく読みましたね。教科書にパラパラ漫画を描いてみたりとか、そういうのが好きでした。親が働きに出ていたので、1人の時間が結構あった。その時に絵を描いたりするのが好きで、そこからですかねえ。でも、授業でやらされるのは好きじゃなかった。これをやりなさい、これを描きなさいと言われるのはいやでした。

 題材ですか? 特にこれっていうのはなかったですね。その時に思いついたくだらないこととか。中学、高校になったら、雑誌の投稿コーナーに送ったりして、採用された時はうれしかったですよ。お笑いをやろうと思っていなかったので、そのために描いていたわけじゃないですけど、今考えると4コマ漫画を描いたりしていたことがネタ書きにつながっているかもしれませんね。もちろん、今、4コマ漫画でネタはつくっていないですけど。

 さっきも言いましたけど、お笑いをやろうとは思っていなかったんです。小学生のころ、漠然と芸能人になりてえなあと思っていましたけど、なり方もわかんないし、努力もしたくなかったんで(笑い)。何をしようか、と思いながら高校でちゃって。

 目立ちたがり屋ではなかったけど、周りの人を笑わせたりとかはしてました。割と近辺の人だけという感じでしたけど。前に出て行くとか、表に出ていくとか、そんなに好きじゃなかった。いえーい、という感じじゃなく、ぼそっと言って笑わせるとか。

 小学校だったか中学校だったか、YMOさんのコントが入っているテープが回ってきて、おもしろいなあっと。それで高校生の時にスネークマンショーがあって、そういうのを聞いていて、芸人さんというよりそっちの方の影響を受けました。だから、音ネタをみたときに、自分が表に出なくてもできるということに対してはおもしろいなあと思った記憶がありますね。

 小さい頃から父親に漢字を書けって言われてました。1日ノート1ページ、漢字を書けって。そんなのできないじゃないですか、ほとんど。それでしょっちゅう殴られてました。理不尽でしたね。わかんねえよ、と思ってやってました。今になって、たぶんこういうことなんだろうなというのはわかりますけど、殴らなくてもいいだろうって(笑い)。

 父親にはほめられたことがないですね。ムチしか受けてこなかったイメージ。今になってみれば、接し方がへたな人だったんだろうなということがわかりますけど、当時は苦手意識しかなかったですね。逆に母親は割となんでもやらせてくれるというか、応援してくれる人だった気がしますね。お笑いをやるって言った時も何も言われなかったし。勉強しろと言われた記憶もあんまりないし、公文だったり何だったり、やるっていって途中でやめたりしてもあまり厳しく言われた覚えはないですけどね。

 1度決めたらやりなさいというのは確かに大事だとは思いますが、それしか可能性がないわけじゃないので、こっちをやったら意外とこっちが向いているっていうことはあるので。ちっちゃいときに何に向いているかなんてわからないじゃないですか。ある程度の年までは好きにやればいいんじゃないかと思います。

 英才教育ってすごいことでしょうけど、その代わりに失っているものも多いだろうなと。それが決して幸せではないだろうなっていう。成功しなかったらその人の人生どうなっちゃうんだろうという不安の方が大きいですね。道は1つに絞るべきではないなと思います。

 割とこもって何かすることが好きな子もいると思うんですけど、オレは決して悪いことじゃないと思う。そっちの才能を伸ばせばいい。外で遊びなさいばっかりじゃなくても。そういう職業もあるし、才能もあるんだから、そこを親の側がちゃんと見つけてあげられればいいかなって。世に出てみないと、こんなにいろんな仕事があるんだってことはわからないじゃないですか。高校くらいで、もう就職だ、このなかから決めろって言われても、できないですよ。過保護にならない程度に愛情を持って見守るってことが大事じゃないでしょうか。

 ◆富沢たけし 本名・富沢岳史。1974年(昭49)4月30日、宮城・仙台市生まれ。98年、仙台商ラグビー部の同級生、伊達みきおと、お笑いコンビ・サンドウィッチマンを結成。07年にM-1グランプリで優勝した。特技はスポーツゲームと寡黙。

(4月21日付 日刊スポーツ東北版掲載)

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