12日に亡くなった演出家蜷川幸雄さん(享年80)の通夜が15日、東京・青山葬儀所でしめやかに営まれた。「世界のニナガワ」と呼ばれた名演出家だけに、芸能界、劇場関係者、政財界からファンを含め、約1500人が参列した。長女で写真家の蜷川実花さん(43)が通夜の前に取材に応じ、父への思いを語った。葬儀・告別式は16日正午から、同所で営まれる。

 年齢やジャンルを問わず、蜷川さんが生前、幅広く交流してきたことをうかがわせる参列者の顔ぶれだった。俳優、女優、演劇、劇団関係者だけでなく、建築家、ジャーナリスト、政財界人が別れを惜しんだ。蜷川さんが芸術監督を務めたさいたま芸術劇場を拠点にする55歳以上限定の「さいたまゴールド・シアター」、若手俳優の育成を目指した「さいたまネクスト・シアター」のメンバーも参列した。まさに老若男女が蜷川さんを悼んだ。

 赤いバラや菊、カーネーションで彩られた祭壇の中、遺影の蜷川さんは右手をほおに当て、今にも話し掛けてきそうな表情を見せていた。昨年9月に上演した「NINAGAWA マクベス」舞台稽古の時、同作のセットである月をバックに、長女の実花さんが撮影した。遺影になるかもしれないという思いだったという。蜷川さんはあまり体調が良くない時期だったため酸素吸入のチューブを付けていたが、撮影の時は外してくれた。実花さんは「生涯現役に本人も家族もこだわっていたので、かっこよく戦っている父のイメージで選びました」と話した。

 蜷川さんは、創造への意欲を失わず、復帰を強く願っていた。小劇場から商業演劇に活動の場を移した初めての舞台「ロミオとジュリエット」(74年)に出演して以来、蜷川さんと何度もともに仕事をしてきた西岡徳馬(69)は「何でそんなに仕事するの? と聞いたことがある。『やり続けなきゃただのじいさんだからだ』と言っていた」と振り返った。

 西岡はまた、かつて蜷川さんと、10年に亡くなった劇作家、演出家つかこうへいさんを、帝国ホテルのラウンジで引き合わせたエピソードを明かした。スターを作ろうとするつかさんが、蜷川さんに互いに同じ俳優を舞台で起用してほしいと依頼したのだという。計画が実現することはなかったが、西岡は「2人は互いにリスペクトしていた。おもしろかったな」。

 ひつぎには、これから演出する予定だった舞台の台本が数冊入れられた。つかさんとのタッグも、天国で実現するかもしれない。戒名は俗名。