19日に上行結腸がんから併発する肺炎のため亡くなった俳優原田芳雄さん(享年71)の通夜が21日、東京・青山葬儀所で営まれ、1200人の弔問客が訪れた。6000本の白い花でスクリーンに見立てた祭壇を背に、長男でミュージシャンの喧太は「映画の中に本人は生き続ける。感無量…格好いい」と、父の偉大さをかみしめた。

 原田さんの歌うブルースが葬儀所に響いた。93年10月と08年2月29日の誕生日に都内で開いたライブでの歌声だった。喧太はその中で、父との最後の日々を振り返った。

 喧太

 (11日のプレミア試写会の)3日くらい前に、医者から「99%無理だろう」と言われてたんですが、本人もすごく頑張ってリハビリした。本人は役者にかけていたので、病床でも次の作品のことや「まだまだ、やりたいことがいっぱいあるんだ」とずっと語っていた。1個、時代劇をやりたいと言っていた。余命2年…。何となく気づいてたのかも知れないけど、僕たちは直接的に言ってなかった。僕が最後に(父に)言われたのは、2日前に「もうダメだ…」と。

 バラやカーネーションなど、真っ白な花一色で染まった真四角な祭壇は、遺作となった「大鹿村騒動記」の美術担当・原田満生氏が作り上げた。「スクリーンをイメージし、最後までスクリーンの中の原田さん」と原田氏。右拳で頬づえをついた原田さんがほほえむ遺影は、09年春に映画「ウルトラミラクルラブストーリー」の公開前に撮影されたもので、原田さんが気に入り、生前はホームページなど公式的な写真として使用していたという。

 ひつぎの上には守り刀と、1本のバーボンの瓶が置かれていた。ラベルには「I・W・HARPER」をもじった「I・W・HARADA」のラベルが貼られていた。喧太が数年前に、誕生日プレゼントとして業者に制作してもらい数本贈ったが、原田さんは空けなかった。亡くなった19日夜に初めて喧太が空け、原田さんの枕元に置いた。

 戒名は原田さんと遺族の希望でつけず、「原田芳雄」のまま、天国へ旅立つことになった。「生前、ずっと『血縁だけが家族じゃない』とオヤジは言い続けていたので、こんなにたくさんの“家族”が来てくれたことに感謝してます」(喧太)。今日22日の葬儀・告別式にはファンに酒を振る舞う。大勢の“家族”が、原田さんとお別れをする。