森田健作、桜田淳子、松田聖子、酒井法子ら多くのアイドルを育てた大手芸能事務所サンミュージックプロダクションの創始者で会長の相沢秀禎(あいざわ・ひでよし)さん(本名・與四郎=よしろう)が、23日午後10時27分、都内の病院で、膵臓(すいぞう)がんのため亡くなった。83歳。24日、同社が発表した。愛情第一、生涯マネジャー、現場主義を貫き、事件、騒動にも対処。タレントにとっては父親のような大きな存在だった。

 相沢さんは病床でもタレント、社員を気に掛けていた。亡くなる1週間前、相沢さんはタレントと社員へ最後のメッセージを口にし、関係者が書きとめた。「また一緒に仕事をしたいと治療に専念してきましたが、難しくなりました」と、無念をにじませながらも「皆さんのおかげで楽しく素晴らしい人生を送ることができました。皆さんはこの先もずっと僕の家族です。ありがとう!」と感謝を伝えた。

 体調の変化には敏感で、気になることがあるとすぐに病院に行ったという。「体中のカルテがある」と笑って話していたこともあった。健康には自信を持っており、昨年11月に定期健診で膵臓に腫瘍が見つかった時も、「誤診だろう」と疑ったという。

 しかし、再び現場で仕事をしたいという強い思いから、約1カ月入院して抗がん剤治療を受けた。退院後は通常業務をこなしながら、治療を継続していた。今年3月25日、食欲が落ち体重も減少したため、再入院。最後の入院となってしまったが、病院から舞台やイベントに駆け付けるなど、現場主義を貫いた。関係者によると、最後の入院前も新人歌手について「今度の歌はいいね」などと話していたという。

 サンミュージックのタレント第1号で千葉県知事の森田健作は、2週間前に病気を打ち明けられたという。森田は「2週間前は元気で『会社を支えてくれ。頼む』と言われた」と明かした。計3回見舞いに行き「最後に会ったのは3日前。『会長、頑張ってくださいよ』と言うとちょっと笑って『頑張るぞ』と。それが最後でした」と涙ぐんだ。

 タレントには愛情を目いっぱいかけた。松田聖子、岡田有希子さん、酒井法子ら、発掘した新人を自宅の6畳間に住まわせ家族ぐるみで面倒を見、社会人のマナーや礼儀を教えた。タレントからは「東京の父」「秀パパ」と呼ばれることもあったように、父親のように慕われる存在だった。

 岡田さんの自殺、聖子の独立、桜田の宗教団体入信をめぐる騒動、酒井が覚せい剤取締法違反で起訴されるなど、大きな試練や悲しみもあったが、愛情第一の姿勢は変わらなかった。芸能史を作ってきた大きな父が逝ってしまった。

 ◆相沢秀禎(あいざわ・ひでよし)1930年(昭5)1月20日、神奈川県横須賀市生まれ。法大卒。終戦後、カントリーウエスタンに魅了され、「ウエスタン・キャラバン」を結成し音楽の世界に。大学時代もスチールギターのプレーヤー兼マネジャーとして活動。山下敬二郎、佐々木功、佐川満男らを発掘。62年には芸能プロダクション「龍美プロ」を立ち上げ、西郷輝彦をデビューさせた。04年12月、社長の座を長男の相沢正久氏に譲り、自らは会長に就任。家族は、てる夫人と1男1女。